第44回 シンセンよもやま話
1985年頃初めての海外出張が香港経由のシンセン行きでした。
当時の事業部長が、会社のお金で海外の工場を見学させるけど行きたい人は居るか?
と言うので、あと先も考えずに手を挙げた馬鹿なワ・タ・シ。
シンセンにあるハードディスク関連企業へ仕事を断りに行くのが最大のミッションと知らされた時には後の祭り。
『日本語で断って来るんすか?』との質問に対しては、『相手は外国人だ。当然英語だべ?』と来たモンだ。
それからは、お断り文言作成と英訳。そして丸暗記に必死な毎日で、いざ出陣。
翻訳ソフトなんか無い時代。準備した文書や暗記した内容の殆どは役に立たず(間違いだらけだった)、シドロモドロの英語で何とか仕事を断われた時には、肩の荷が下りると形容される様に、汗だくの背中から重い荷物がスーっと消え落ちるのを感じたものである。
(後日、もっと英語の話せる奴を送って寄越せ。とクレームが来たらしいが、、、、、。 )
当時のシンセンは、3階以上の建物は非常に少なく、町中が茶色の薄汚い埃っぽい印象で、国境にはキツネ目で銃を持った紅衛兵が立っていた時代でしたが、2010年に赴任した際には日本の大都市をも凌ぐ規模の高層建物群に変貌していました。
私が住んでいたマンションも33階。 眼下には片側6車線の大動脈と高層ビルだらけの大きな街並み。 (既に日本は、GDPでも街の規模でも負けていました。)
しかし、『横断歩道!皆で渡れば怖くない。』は当たり前であり、老若男女、赤信号どこ吹く風なのである。
駅やバス停での順番待ちはクソ喰らえ。レストランではテーブルの下に喰い散らかす始末。
マナー面ではまだまだ先進国には及ばない【やっぱ中国だなぁ~】と痛感したものです。
(負け犬の遠吠えです。ハイッ!!)
【恐ろしや技術力】
シンセンの入口、羅湖の活気には凄まじい程のエネルギーで溢れていました。
(日本では感じられない活気・エネルギーを羨ましくさえ思いました。)
電気製品、電子製品、バッグや時計・スポーツグッズから各種道具類、ニセモノは何でも揃うのです。 (iPhone/iPadの偽物が、本物の発売前に売られているから驚きです。)
ニセモノは確かに良くありませんが、本物より先に世に送り出す技術力は底力がなければ出来ないのも事実です。
そして、安かろう、悪かろうの中国製品に『品質』のマインドが入ったならば、日本製品は大変な事になるだろうと恐怖心すら覚えたものでしたが、今では現実になってしまいました。
今ではシンセンで生まれたドローンの会社(DJI)や多くの企業が【品質と価格】で世界の市場を席捲しています。(中国の技術力 恐ろしや~。)
【世界の料理】
シンセンには世界中の料理が直接・間接的に進出しており、お金さえ出せばどこの国の料理でも食べられます。
中華料理は当り前、日本料理、韓国料理、イタリア料理、フランス料理、etc チョットお高いのでめったに食べる機会はありませんでしたが、どれも美味しかったのを覚えています。
私の生活レベルでは、どこどこに吉野家が進出して来た。〇〇ラーメンが出来た。和民が来た。とか庶民的料理屋さんの話題に一喜一憂し、そこで外食するのが関の山でした。
(味噌汁のある庶民の味の日本料理が一番美味しいのです。)
【四川料理より辛いと言われる湖南料理にチャレンジ】
シンセン工場には湖南出身と四川出身のスタッフがおり、ある日、四川が辛い。イヤッ!湖南が辛い。との論争になり、それでは皆で食べ比べしようとなったのである。
本場の四川料理の辛さは、日本で食べる四川料理の比ではありません。 ホントです。
それわ、それわ。さぁ大変。舌が痺れるわ。唇が痺れるわ。喉はヒリヒリするわ、、、、。
1週間後、今度は同じメンバーで湖南料理へチャレンジ。
四川料理より辛いと言われるだけあってハンパ無い辛さである。(私の生涯で一番の辛さ)
辛い以外の味は感じられません。
翌朝は“水戸の光圀公”(コウモンサマ=肛門様)まで針を刺された様にヒリヒリ。
お下品ですが、ケツを拭くにも難儀する始末でした。(当然ウォシュレットなんてありません。)
会社仲間での評価は、辛さでは湖南料理。味は四川料理に軍配が挙がりました。
“コウモンサマ”に自信のある方は、本場の湖南料理を一度ご賞味あれ。
次回はインドネシアよもやま話を紹介致します。