第42回 スリランカよもやま話し
1995年頃、日本の電機メーカーのスリランカ工場への電子部品の加工・組立て(委託生産)を目的に数回訪問及びに数か月滞在しました。
当時は、反政府ゲリラ(イーラムの虎)が各地でテロを起こしていた時代である。
街のあちこちにトーチカの様な機関銃を構えた検問所があり、強面の兵士に突然撃たれたりしないか?とハラハラしながらの朝夕の通勤である。
会社からは、テロに遭うリスクが高いのでコロンボ市内のホテルには泊まるな。との命令があったので空港近くのホテルを予約して渡航。
しかし、市外の安宿は臭い。暑い。蚊が多い。の三拍子の揃い踏み。とても3ヶ月間の長期滞在出来る環境では無かったので1泊だけでギブアップ。
テロで死ぬ確率よりスリランカ脳炎(?)で死ぬ確率が高いと勝手に判断し、会社に内緒でコロンボ市内の外資系のホテルに変更したのである。
そのホテルはエミレーツ航空のスチュワーデスの定宿となっており、週末のプールサイドは、それはそれは華やかで賑やかな南国の楽園でした。(若気の至り楽しからずや。涎)
帰国後、ホテル代が高い事を指摘されたが、引率メンバーの命を守る為の苦渋の選択でした。と口から出まかせで無事突破したのである。
スリランカは、【ダイヤモンド以外は大抵採れる】と言われるほどの宝石産出国で種類も多種多様。 代表的なものはブルー・サファイアやルビーなど。
街には至る所に宝石店が並んでおり、観光客向けに『安いよ~安いよ~』の呼び込みがウルサイのです。
我が奥方様の(?)お土産に!と思うのだが、どの店で何を買ったら良いのかサッパリ分からず、ある日現地工場の日本人に紹介して貰った宝石店を訪問。
当然、商品には価格が表示されているが、日本人会紹介のお客様には8割引きと大判振舞い。しかし、これが曲者なのである。
8割引きと聞くと殆どの日本人は【それは安い】と異口同音。ウハウハになって言い値で買ってしまうのが常なのである。
(正確には8割引きから交渉がスタート出来るのです。)
滞在中に退屈凌ぎも兼ねて数週間かけて何度も通い値引き交渉。最終的には更に30~40%引きでゲット。(それでも業者は儲けている。)
嫁を喜ばそうと悪戦苦闘しながら指輪を買い、意気揚々と帰宅するも、デザインが~。色が~。などなど、、、、、、、、。
土産など、2度と買うものかッ !! と決意して本日に至っているのである。
分かってるの?分からないの?
スリランカ人のみならず、一部の地域では首を横に振れば『分かった』との意思表示となるそうです。(正確には、左右へ首を振るのではなく、Ⅴ字型に首を振るらしいが)
作業指導中に分かったか?と聞くと全員が首を横に振る。最初の内は『あぁ~説明の仕方が悪いから分からないんだなぁ~』と思い、何度も説明を繰り返す。
後日 現地日本人スタッフに、首を横に振ったら『分かった』の意味ですよ。と聞き、ひと安心するも、説明中に何度も首を横に振られる違和感に慣れるのは容易ではありませんでした。
海外では日本に比べ交通事情が悪いのが常。
車は99%日本車の中古車。タイヤは坊主タイヤ。スピードはやたら早い。車間距離は取らない。隙間があれば車の鼻っ先を突っ込んで割り込む。雨が降ろうものなら交通事故のオンパレードです。 毎日スコールが降るから交通事故だらけのハラハラドキドキの命がけ。
事故が怖いので毎回、運転手にゆっくり走れと言っても、【馬の耳に念仏・カエルの面に小便】なのである。(何度もヒヤリとして足に力を入れて踏ん張ったことか?)
テロの脅威、スリランカ脳炎の脅威、そして交通事故の脅威、朝も昼も夜もカレーしか無いスリランカ。
『なんでこんな所まで来て仕事しねげねんだべ?』 と何度も思いつつも企業戦士は頑張ったのっしゃあ~、、、、。
戦後、連合国が日本の分割統治の危機から日本を救ってくれた親日国スリランカ。
紅茶の美味しいスリランカ。 人々は、非常に優しく笑顔で迎えてくれたスリランカ。
もう一度訪ねて見たい国のひとつです。
次回は韓国よもやま話をお送りします。