第41回 ハルピンよもやま話

第41回 ハルピンよもやま話

ハルピン空港に降り立ったのは1993年の寒~い真冬。氷点下15℃の白黒の世界。

顔に風が当たると、まるで剣山で刺された様な痛みを感ずるほどの冷たさなのです。

冬には冬用タイヤを履いて車は走るものとばかり思っていた私は、殆どの車が夏用タイヤで走っているからオドロキ・モモノキでした。(当時ですよ。 と・う・じ。 今では冬用タイヤがありますが)

 

氷が解けるからタイヤは滑る。ハルピンの冬は氷が解けないから滑らない。ってぇのが冬用タイヤを履かない理由と聞き、ナルホドナァ~と妙に納得やら感心した次第。(真意のほどは定かにあらず。)

  

又、ハルピンには松花江と言う川が流れており、冬はカッチカチに凍るので、近道を狙って氷の上をトラックが行き交うのが冬の風物詩との事でした。 

春先に数台沈んでいたのを見たので嘘では無い様ですが、トラックが氷の上を走っているのを見た事が無いので、これも真意のほどは定かにあらず。

 

これからは見聞き体験したホントの話。

 

税関職員との会食

私が長期出張したのは韓国系企業のハルピン工場(協力工場)。

何でも有りの韓国人らしい税関職員との付き合い方にもオドロキ・モモノキなのです。

韓国から輸入するコンテナの中の木箱を二重底にして申告品以外のモノを密輸入するのは当たり前。(韓国自動車修理部品やアルファベットGの次の文字○な本、韓国食品 等々)

定期的に税関職員を昼食会や夕食会に招いて酒席を設けるのが当時の処世術。

帰り際には、数枚の百元札を丸めてタバコの箱に何本も入れて、【タバコをどうぞ】って税関職員に手渡しするのです。(直接札束で渡さないのが礼儀だそうな)

そうする事で税関トラブルはめったな事では起こらなくなるのです。

 

早坂行方不明事件

北京空港に向かう飛行機に何かのトラブルが発生した為に、ハルピン空港で24時間以上待ちぼうけさせられた時の話。

当時ハルピン空港での案内は中国語のみで行われており、中国語を全く分からない私には何がなんだか理解出来ず、辛くて長い時間を過ごす羽目になったのです。

何か中国語でアナウンスされる度に、飛行機のチェックインが始まるのか?と思い、航空券を地上係員に見せながら、この飛行機か?と身振り手振りでのSOS。係員はチンプンカンプンの中国語でまだだ。座っていろ。と、のたまうばかり。

トイレにも行きたいし腹も減る。寝過ごす訳には行かないので居眠りもままならず。

数時間が過ぎ、10時間が過ぎ、廻りに日本人らしい旅行者もおらず心細いったらありゃしない。24時間が過ぎる頃には、疲れるわ、眠いわ、腹が減るわで、もうヤケのヤンパチ。

当時は携帯電話も普及しておらず、国際電話だけが頼りなるも、ハルピン空港搭乗ゲートには国際電話すら見つからず八方塞がり。

日本の会社側は早坂が帰って来ない。行方不明だ。と大騒ぎになっていたらしく、帰国後なんで連絡しなかったと絞られたのは言うまでも無い。

(心の中では、“テメェ~が一度経験して見ろ”と思っていたが、そこは大人の対応でスルー。)

 

公衆トイレの話。

皆さん中国で公衆トイレに入った事はありますか? (お薦めは致しませんが。)

中国のトイレは一般的に、臭い。汚い。足の踏み場が無い。のは当たり前。出るモノも引っ込んでしまうほどの汚さなのです。

個室の扉が無いのが当たり前。扉があったとしたら、代わりに両サイドの仕切りが無いのです。(お尻を出して横一列に並んで用を足すのです。 ニーハオトイレと言います。 これがホントのお尻合い?)

 

ハルピンでの行方不明事件の時に私を叱った上司が後日ハルピンを訪問した際には、

ホテルやデパートのトイレには案内せずに、『あの時の仕返しだぁ~』と公衆トイレに案内して溜飲を下げたのを昨日の様に思い出します。 (ザマァ~見ろってんだ。)

 

最後に、

チンプンカンプンの語源が中国語のチンプトン・カンプトン(見ても聞いても分からないの意味)だって知ってました?

 

次回はスリランカよもやま話を紹介致します。