第217回 一日一善 〜六度万行の勧め〜

第217回 一日一善 〜六度万行の勧め〜

年末を越したと思ったら、あっという間にお正月も終わってしまいました。

師走は忙しい時期というので、12月27日から31日迄の歩数を合計してみたら、5日間で6万3千歩、距離にして38キロメートルも歩いてしまったのですから、年末は誰でも師(先生)のように走り回るということを実感しました。

まだ1月だというのに、巷ではバレンタインのチョコレートや恵方巻のチラシが目に付くようになり、そして桜の花の咲く予報も出始め、今年も季節が汽車の窓から眺めるように過ぎ去っていくのだなあと思ってしまいます。

たしかに時速10キロメートルで過ごす10歳の子供に比べ、古希を越え70代になると時速70キロメートルの人生スピードなので当たり前かもしれません。

その飛ぶように過ぎ去る一日一日を少しでも良い時を刻んでいくために「一日一善」の大切さを考えてみました。

 

「一日一善」は「いちにちいちぜん」と読みますが、この言葉はいつ頃から覚えたのでしょうか、物心ついたときから知っていたような気がするあまりにも耳に馴れた4文字熟語です。

意味は「一日に一つ善行をして、それを積み重ねること」ですが、若い人たちの中には「一日一膳」と思い「昔は質素な生活だったので1日1食だが、現在は裕福になったので一日三膳なのだ。」などという人もいたそうです。

また、「一日一善」とは、「善いことは1日1回以上やっては駄目なの?あまり良くないことばなのかも。」と理解する人もいたとかいないとか・・

 

一日一善という言葉は仏教が由来で、お釈迦様が説く「六度万行(ろくどまんぎょう)」という次の6つの教えからきているそうです。

 

1番目「布施(ふせ)」 人に親切にすること

2番目「持戒(じかい)」 言行一致のことで、規律や言ったことを守る

3番目「忍辱(にんにく)」 忍耐のことで、我慢することは大事ということ

4番目「精進(しょうじん)」 いつも努力すること

5番目「禅定(ぜんじょう)」 反省すること

6番目「智慧(ちえ)」 修養のことで人徳を積んで人格を磨くこと、つまり5番目までのことを実行することです。

 

お釈迦様は、六度万行の内どれか一つでも実践することができれば、他の五つも実践したことになると説いたので、毎日一つでもこれらのことをやれば「一日一善」ということになります。

六度万行は「六波羅蜜」ともいい、名経営者の稲盛和夫さんも講演や自著の本で説いていたほどですから、その考えは経営にも役に立つはずです。

 

誰でも1日を振り返ると、意識的無意識的に関わらず、何かしらの六度万行をやっています。

例えば、スポーツジムに行った日のこと。

ジムの入り口の床に落ちていたゴミを拾う、空きっぱなしの靴のロッカーを閉める、トイレの脱ぎっぱなしのスリッパを揃える、使ったマットを消毒する、マシンの汗を拭く、サウナ室の落ちた自分の汗を拭う、洗面所に付いていた髪の毛を取り除く、ドライヤーで足の指の間を乾かしていた人に注意する、濡れたロッカーのカギを拭く、帰りのエレベーターで乗る人の為に開ボタンを押す等々。

どれも六度万行のうちの一つに当てはまるのではないでしょうか。

 

少し説教的になったかもしれませんが、コロナ前には年に数回行っていた禅の勉強会のことを思いだしながら書き綴ってみました。