第211回 誇りprideと驕りproud

第211回 誇りprideと驕りproud

誇りと驕りは英語に訳すとプライドprideとプラウドproudとなりますが、どちらも同じような発音でしかもほぼ一字違いです。

ところが二つの言葉の意味はまったく別物で、例えば「誇り高い人」は「品格のある人」であり、「驕り高ぶる人」は「慢心して尊大な態度をとる人」となります。

 

「驕り」というとその言葉が真っ先に頭に浮かんだある出来事を知人から聞いたことがあります。

ある会社の社長に取引先の担当者が、工事の見積もりを提出しました。ところが、その見積もりを手にした社長は少し見てからその業者に「高い!」と一言発し、その担当者の目の前に放り投げて立ち去って行ったそうです。

その取引先は先代の社長まで何十年も取引していた会社であり、定年に近い担当者は長い間その窓口として任に当たっていました。

そのことがあった日以来、年齢が一回り以上年下のその社長にはその後直接会って商談することは二度となく、今では取引もほとんどしていないようです。

 

誰でも知っているアンデルセンの童話「裸の王様」が、驕りの逸話として知られていて、ビジネス社会では「うちの会社の社長は裸の王様だ。」「裸の王様にならないように。」などとよく比喩として取り上げられています。

 

物語の登場人物は主人公の皇帝と、ばか者には見えない衣装を作ると言って皇帝をだます2人の詐欺師、王様には絶対服従の大臣や役人や家来たち、烏合の衆の町の人々、そして幼い子供です。

企業に置き換えると、皇帝はワンマン浅慮で驕りが見られる社長であり、人は良いが社長には具申できない大臣は会社の役員であり、役人は自分の意見を言わない管理職、家来と町の人は事なかれ主義の社員、真実を言った幼い子供は新入社員か中途入社の社員かもしれません。

幼い子供以外は各々の自分の立場を考えすぎ場当たり的に対応して、王様の恥をさらし事態を悪化させてしまいました。

「バカと天才は紙一重」ということわざがありますが、王様も以前は誇りを持った良い統治者だったのに、いつの間にか紙一重を突き抜けてしまったのではないでしょうか。

少数精鋭で技術を売り物にしている会社で業績が上がり規模が大きくなる、平社員から出世し自分の立場が上がる、同族会社の2世3世が役員になるなどでその紙一重が怪しくなります。

これらの例のように上の立ち位置になると、最初は「誇り」と同時に控えめや感謝の気持ちを持っていますが、次第に上から目線になり、周囲から「彼は驕っているのではないか?」という目で見られることもあるので自省が必要です。

 

驕りは、自分は優れている、自分より相手を下とみる、大きく見せたい、立場が上である、自信がない、知識がない等々により生まれてしまいます。

そして、驕りがある人は、他人を見下し感情的に怒り、感謝や謝罪を口にせず、自分の非を一切認めなくなり、人の意見を聞かず、「知りません」「教えてください」という言葉も言わなくなります。

 

仏典では、富者(金持ち)、知者(高学歴)、強者(体力)、長者(年長者)、権者(社長、政治家)の立場になると、驕りが出ることがあるので自分を見つめなおすよう説いていますが、自分はどうなのか心配になりました。