第210回 人の相対性理論 〜3分は短い?長い?〜

第210回 人の相対性理論 〜3分は短い?長い?〜

人事評価するには「絶対評価」と「相対評価」とがありますが、それは「言うは易し」で絶対評価をするということはなかなか難しいようです。

アインシュタインの相対性理論は理解することは困難で、「時空」を物理学上で解説した理論なのですが、それを人間にあてはめると自分の立ち位置によって変化する相対評価と同じような現象なのではないかと思うのです。

アインシュタインの理論が正しければ、私達人間はいつもその原理のように考えていることが多いのかもしれません。

 

それは、楽しい事と苦しい事、面白い事とつまらない事、好きな事と嫌いな事などに、遭遇や経験する時の時間の長さです。

社会人であれば、昼休みに気の合った同僚と趣味や面白い話しをしている時間と、上司に叱責や説教されている時間は、実際には同じであっても何倍もの長さに感じてしまいます。

学生であれば、クラブ活動をしている時間と、不人気の講師によるつまらない授業を聴いている時間が同じ時間などとは到底思えません。

野球観戦であれば、9回の裏ツーアウト満塁の展開で、応援しているチームが勝っている場面と負けている場面では、1分が10分以上にも感じられることを経験した人は多いのではないでしょうか。

サッカーのアディショナルタイムやボクシングの最終ラウンドなども同様です。

信号待ちでは、急いでいる場合と余裕たっぷりの場合の時間でも雲泥の差の長さに感じられます。

他にも、恋人と過ごす時間と残業の時間、面白かったり感動したりした映画と、入場料を返して欲しいくらいのつまらない映画を観た時間、などは時間の経過が「天と地の違い」であり「月とスッポン」であり「提灯と釣り鐘」の差があります。

 

よく使われる「3分」という長さも相対性原理に支配されているのかもしれません。

短く感じる3分は、腹が空きすぎている時のカップ麺の出来上がり時間、アマゾン創設者ベゾス氏の乗った宇宙船での3分の無重力時間、出勤前の寝起きの布団に入っている心地よい時間、子どもであればウルトラマンが活躍する3分間等々です。

対して長く感じる3分は、話しが不得手な人の冷や汗の3分間スピーチ、切羽詰まった時の駅の足踏みトイレ待ち、健康にいいからとやってみた3分間の縄跳び、不謹慎ですが告別式のお経、3分も見てしまったつまらないユーチューブ等々です。

 

人と人との相対性原理は年齢による場合が、どの年代でもよく見受けられます。

はたち前後の私から見てうらやましい程の溌溂とした若者が「自分の若い頃は・・」としたり顔で言ったり、20代後半の美人を見て「あんなオバサンになりたくない・・」などと口をとがらして話すのです。

また「自分は50歳まで生きれば十分だ」などとほざくのを耳にし、「その余命30年おくれ・・」と心の中でつぶやいたこともあります。

 

旅のツアーで一緒になった80代の方に年齢を聞かれたので「もう古希になりましたよ」と返事をしたら、「まだまだ若いんだねえ~」と諭すように言われてしまいました。

人は50歳になれば70歳まで生きれば十分だと言い、70歳になると平均寿命よりも少し長生きすればいいと80歳後半の目標を口にします。

紀元前の遺跡の壁には「今の若いものは・・」という言葉が残っていたというのですから、人間はいつの時代でも同じような思いをするのでしょう。

 

最後に、人の相対性理論の例とは少しずれているかもしれませんが、沢庵和尚と徳川家光の面白い逸話を紹介します。

家光は沢庵に「最近何を食べても美味しく感じない。何か美味しいものを食べさせてはくれないか。」と頼みます。沢庵はその言葉にうなずき、翌日の午前に再び来るようにと言い、家光は翌日来ましたが午後まで待たされた後に、ようやく現れた沢庵が出したのは大根の漬物とご飯だけでした。しかしお腹が空いた家光はそれを一気に食べ、「こんなにもうまい飯を食べたのは久しぶりだ。」と言って沢庵の考えを理解したのです。

家光はその時に出された漬物を「たくあん漬け」と名付けたのでした。