第193回 カタカナ言葉がわからない 〜頭の中が霧の摩周湖〜

第193回 カタカナ言葉がわからない 〜頭の中が霧の摩周湖〜

2020東京オリンピックを今年は開催出来るのかどうか、大変に難しい問題が日本に突き付けられていますが、それでも日本にはグローバル化の波は押し寄せて来るので避けては通れません。その波のせいなのかどうか、日本国内でカタカナの言葉を使う場面が非常に多くなりました。

 

片仮名は読んで字のごとく元来は、経典の漢字を読むために行間(片側)に書き入れるようになり使われたのが始まりなのだそうです。

ところが今は脇役ではなくメインとして使われるようになり、ナニを言っているのか、ナニを言いたいのか、よく分からない話しが最近特に多いような気がします。

現在のとんでもない時代だからこそ、誰にでもわかるようなメッセージを伝えてほしいのです。

 

聞いたことがあるようなやり取り

偉い人「新型コロナのクラスターが多発してオーバーシュートしてしまったら、状況によってはロックダウンをしなければならないので、皆さんは特にソーシャルディスタンスに注意すると同時にステイホームをお願いします。」

 

質問する人「そういうアクションを我々がアグリーし実行したら、あなたは結果にコミットできるのですか? また、感染者数が少なくなるというエビデンスはあるのですか?」

 

これらの内容は何となくわかりますが、第三者に分かりやすいように説明するとなると、かなり難しいのではないでしょうか。

特に年配者にとっては、頭の中が霧の摩周湖のようにぼんやりとしか理解できないのではないでしょうか。

 

カタカナ言葉は少ない字数でも分かり易い例は幾つもありますが、ITの世の中になったせいか以前にも増して使うことが多くなりました。

 

ルー大柴のように芸として話されると笑えますが、それ以外の場面でカタカナを多用されると、聞く方は内心「偉ぶって・・」とか「知ったふりしやがって・・」と共感よりも反感を持つ人が出てくるかもしれません。

 

前述の例でも日本語にして丁寧に話せばより共感を持つ人が多くなるはずです。

 

以下日本語訳文

偉い人「新型コロナの集団感染が多発して感染が爆発するように広がってしまったら、状況によっては都市封鎖をしなければならなくなりますので、皆さんは特に人との間隔に注意すると同時に家に居て出かけないようお願いします。」

 

質問する人「そういう行動を我々が同意し実行したら、あなたは結果を約束し責任を負えるのですか? また、感染者数が少なくなるという根拠はあるのですか?」

 

私はコロナが流行り始めた時に聞いた「ソーシャルディスタンス」を、「ソーシャルダンス」と勘違いしましたが、今でもこのカタカナは違和感があり「人との間隔」の方が字数も少ないし分かり易いと思っています。

 

社会的には特に上に立つ人ほど分かり易い言葉が必要なはずです。

 

あるIT関係会社の代表挨拶がわかりにくいということで、ネットで取り上げられましたのでその一部を抜粋してみました。

 

「シュリンクされたバジェットをどのようなスキームで獲得していくのか、そのオポチュニティマネージメントこそが鍵です。」

 

何度も読み返しても理解不能で、首をひねってしまいます。

 

まるでパソコン教室の初心者が初めての授業で「デスクトップにあるアイコンにマウスのカーソルを乗せてドラッグしてください。」と言われて、右往左往するようなものです。

 

なぜカタカナで話しをするのでしょうか、話している人の格が上がるからなのでしょうか、よく分かりませんがそういう言葉が増殖し過ぎの世の中になっています。

 

最近よく使われているカタカナのビジネス用語を調べて具体的な文章を作ってみましたが、自分でも訳が分からなくなりそうでした。

8つのカタカナ単語を取り上げました、どれも最近どこかで聞いたような言葉ですが、羅列されると理解に苦しんでしまう人が多いでしょう。

 

ある商社のエリートサラリーマン

「私は今回のプロジェクトにアサインされましたので、アライアンスとよくコンセンサスしてこの商品のフェーズを見極めながら、アジェンダを作成します。ただしコンプライアンスは重要なので、それに反しないようにプライオリティを決めて適正なベネフィットを獲得していきたい。」

 

以下前文日本語訳

「私は今回のプロジェクトに任命されましたので、提携先とよく下相談してこの商品の動向を見極めながら、進行計画を作成します。ただし法令順守は重要なので、それに反しないように優先度を決めて適正な利益を獲得していきたい。」

 

現在ではパソコンやスマホばかり使うので最近ではあまり文章を書かなくなり、カタカナの意味する漢字が書けなくなったせいなのかも知れないので、10年後20年後には例に挙げた会話が当たり前の世の中にならないよう切に願っております。