第185回 ウズベキスタン夢紀行 後編 〜ミナレットの恐怖〜
今回の旅ではこの地ヒヴァに2泊したのだが、自由時間もあったので冒頭のミナレットの恐怖の登攀に無謀にも挑戦してしまったのである。
現地のロシア人女性ガイドが「あれがヒヴァで一番高く美しいイスラム・ホジャ・ミナレットです。1910年に建てられ、高さは45メートル、ミナレットの頂上までは118段のらせん階段で登ることができます。ただし、皆さんは絶対に登ってはいけません!なぜなら、大変に危険だからです!」と平均年齢が70歳前後の13人のツーリストの顔をおもむろに見渡しながら、厳しい顔できっぱりと宣告したのだ。
そう言われたとたん、TDLやUSJの絶叫マシンや仙台ハイランドのバンジージャンプ、エンパイヤステートビルの屋上、さらには花屋敷のお化け屋敷でさえ制覇した私は、内心「登ってやる!」という反骨精神がもたげてしまった。
自由行動になったので早速目的のミナレットに向かい、5000スム(100円)の入場料を支払い塔内までの木製の階段を登り始めた。
塔の本体に入ったらなんと階段の高さは1段が30㎝以上あり、「よいしょっ」と掛け声をあげるほどで手をかける手摺もなく、暗闇の中の石段は幾多のイスラム人が登ったのか、行く手を阻むようにツルツルと滑りやすい。
さらにすれ違うことができないほどの狭さであり、スパイダーマンあるいは車に轢かれたカエルのように石段や石壁にへばりつき、両手両足のうち3点はたえず接地していなければならなかった。
螺旋階段なので登っていくうちに電気も明り取りもないので真っ暗になってしまい、手探り状態無我夢中でこの登攀がいつまで続くのかと思っているうちに、頭上の方に薄ぼんやりと明かりが見えてきた。
一番上に辿り着いた時には、汗だく心臓バクバクの瀕死の状態、永遠に終わらないかと思えるほどだったが、その登った時間はなんと6分足らずであり、その何倍もの時間を費やしたような気分であった。
到着した頂上には、なんとアラビアンナイト世界の盗賊のような髭だらけで人相の悪い(皆そのように見える)中年男が4人もいて、我々を刺すような鋭いまなざし見ていたのだ。ここでカツアゲでもされたら万事休すと、今度は背中を悪寒が走ってしまった。
実際にはそんなこともなく、7,8人も居ると満員御礼になるその場所でにこやかに記念写真を撮り、さあ降りようと階段を振り返ったら冒頭のように固まってしまったのだ。
山は登るよりも降りる方が危険といわれるが、このミナレットも同じで降りる途中に足を踏み外したり滑ったりしたら、下まで一気に奈落の底へと転げ落ちることになる。
すれ違うことは難しいから登ってくる人がいないことを念じつつ、手足踏ん張り歯をかみしめ命の危険を感じるほどだ。全身を研ぎ澄ましながら登った時よりも2倍も時間をかけ、なんとか下界に無事降り立つことができた。
ミナレットの側の地面に立った時は、足はプルプル筋肉パンパンで死の危険から抜け出した安堵で胸がいっぱいであった。あとで分かったことだが、数段登ってあまりの3K(危険、きつい、苦しい)に耐えられず、あきらめ挫折して戻る人も珍しくないという。
とんでもない恐怖体験をしたので、一休みした後は気分を落ち着かせようということになり、イチャン・カラの城壁を一周しながら散策することにしたのであった。
2017年の10月に彼の地を訪れたのだからまだ3年しか経っていないのだが、はるか昔に訪れたようなそんな気持ちにさせられるウズベキスタン、イスラムの国なのになぜか郷愁を誘われるウズベキスタン、そしてシルクロードのオアシス都市ヒヴァでの3日間ではあった。
誰かに「外国でもう一度行きたい所はどこか?」と問われたら、真っ先にその一つにあげるのがこの夢のような街、幻のような街、ヒヴァと答えてしまうだろう。