第182回 1974年の旅日記 〜46年目の御礼〜

第182回 1974年の旅日記 〜46年目の御礼〜

 半世紀ぶりの今年6月にようやくある方に、御礼をすることができました。

 

 5月連休のコロナによる緊急事態宣言の間は、ほとんど出かけないで普段なかなか手が付けられなかった昔の写真や記録を整理していました。

その時に46年前の旅日記を見ていたら、「帰国したら礼状を出そう!」という文面が目に飛び込んできました。

 

1974年9月20日に暦がさかのぼります。

 私がリュック一つで日本を飛び出し、ソビエト連邦経由で東欧を2ヶ月近く渡り歩き、見慣れぬキリル文字(ロシア文字)と社会主義の土地からようやく解放された頃です。

 ギリシャのアテネからバスに乗り、ロンドンまで行くバスに前々日に乗り込み、旧ユーゴスラビアをバスで縦断しオーストリアの国境の街グラーツで途中下車したのが、30時間後の9月19日の午後でした。

 車内で知り合った友人たち、歌を歌い踊ったりする陽気なギリシャ人カップル、白馬童子とあだ名を付けたユニークな髪形のドイツ人、里帰りするという髭を生やしたイギリス人、などと別れを告げました。彼らはあと20時間近くかけてロンドンまで長い旅を続けるのです。

 旅の途中で合流した2名の学生と去って行くバスを見送り、汽車に乗り換えウィーンに着いたのは当日の夜、泊るところもなく駅泊をして長旅と睡眠不足でくたびれ果てていた翌日の夕方のウィーン駅のことでした。

 

以下当時の旅日記の抜粋です。

 

1974年9月20日

(中略)

今夜の汽車は夜行のため、食べ物を買い込み18時ごろから駅で待っていたところ、30歳位の日本人の男の人が話しかけてきた。

一緒に夕食でも食べに行きませんかと誘われたのだが、用心して辞退する。

しかし、何度も誘われたのでこちらは3人(ギリシャで知り合い途中まで同行)だし、お茶ぐらいでもご馳走になるかなということでついていった。

そこでとんでもないところに連れて行かれた。

そこは中華料理店なのだ!

あの懐かしい漢字が書いてあるメニューを見ながらテーブルの上にチラッと目を落とすと、いやはやそこにはなんとキッコーマンの醤油が置いてあるのだ。

思わずよだれが滴り落ちてくる。

最初にワインそれもすごく冷えたのをご馳走になり、喉を鳴らしながら飲み込む。

15分後、注文したラーメンがほかほかの湯気を立てて出てきた。

この場面はビデオテープでも見るように日記を書いている今でも、その有り様がまざまざと浮かび上がる。

ラーメンは2人分ずつで2つのボール状の容器に入っていた。

懐かしいその麺を見ていたら、思わず感激で涙ぐみ目の前がゆらゆらと揺れてしまう。

小さい茶碗に箸で麺をはさみ、次にしゃじで具とスープを移す、具の中身はたけのこ、キクラゲ、豚肉、白菜、カリフラワー、エビなどなど、それらを一つ一つつまんで口の中に入れて味を確かめながら、少しずつ噛みしめながら喉に流し込む。

あまりのうまさに一瞬気が遠くなり、気を取り直し今度はガツガツと食べ始める。

たちまちみんな平らげる。

実にうまかった!本当にうまかった!大変うまかった!あまりの美味さに死ぬかと思った! 

2ヶ月ぶりのラーメンだ、食った!食った!食った!

ご馳走していただいた方は京都にあるR大学の教授をしていると言う32歳の人で、1年ほど休暇をとってドイツで勉強しているという。

実に気さくな先生で疑ってしまったのは本当に悪いと思った。どうもすいません。

 

彼の名前はEさん、帰国したら礼状を必ず出そう!!

 

23時15分発のアムステルダム行きの夜行列車に乗りこむ。

到着は翌日の15時なので寝不足を解消できそうである。

(以上)

 

 それから2か月後に実家でアクシデントがあり、予定よりも半年ほど早く帰国しましたが、次から次とやることがあり旅を振り返る余裕がありませんでした。

 

 コロナで時間ができたおかげで、ネットで当時の記録をたどり46年前にお世話になったEさんらしき方の所在を探し出し、その住所宛に当時の写真も添えて手紙を出しました。

 

 「突然のお手紙に驚かれた事と思います。もしも、人違いでありましたらお許し願います。」の出だしで、私の素性や住所、電話番号、メールアドレスも記入しました。

 1週間後でしょうか、夕食後に家の電話が鳴り受けたところ、「三浦さんですか?手紙いただいたEですが・・・」と渋い男の人の声です。

 Eさんはもう大学の教授は引退しているということでしたが、私のことはよく覚えているというお話しで、「ゼミの学生と接しているような気持だったのだと思いますよ」とお話ししていただきました。

 その後もメールでやりとりし、再会を約束したのです。

 

 私が当時東欧西欧南アフリカ地域をバスと汽車で走行したのは全工程19000kmの距離でしたが、新型コロナが収束して、このような旅を再び今の若い人が気軽にできる時代が少しでも早く来ることを願っています・・