第157回 知っているようで知らない話し? 〜思いでのグリーングラスなど〜
目頭が熱くなるほど感動した話し、聴いただけで「あの時代」に戻った気分になる歌や曲、何度見ても飽きない映画や本などは誰にでもあります。
そして、知っているはずの曲や出来事について、その本当の意味や作られた由来の新たな発見は更に興味をそそられるのではないでしょうか。
「思いでのグリーングラス」 Green Green Grass Of Home
この話しは知る人ぞ知る内容ですが、初めて耳にする人も多いかもしれませんので取り上げてみました。日本では森山良子さんが歌っているので、彼女の透き通った歌声で私も当時は心を癒されたものですが、実はとんでもないどんでん返しの曲なのです。
「汽車から降りたら~ 小さな駅で~♪」と始まるこの名曲「思いでのグリーングラス」という歌は50年以上前にアメリカのテネシー州で作詞作曲されました。古い歌ですがその歌詞を知らなくとも、ほとんどの人がどこかでその曲を聞いた覚えがあるでしょう。
日本語の歌詞の最後は次のようになっています。
♪ 笑顔でだれでもむかえてくれるの ♪
♪ 思い出のグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム ♪
この曲を聞いて、久しぶりに帰った故郷を偲ぶ歌と思っている人が少なからずいるのではないでしょうか。
私ももちろん若い頃はそのように解釈していて、日本の唱歌「故郷ふるさと」と同じように自分の生まれ故郷を歌った外国の歌なのだなあと思っていました。
ところが、実際はこの曲は死刑囚が翌日の刑の執行を迎え、自分の人生を後悔しながらふるさとを思いだすという内容なのです。
日本語歌詞の最後の続きにある英語の歌詞は次のようになっているのです。
「突然目覚めると、四方は冷たい灰色の壁
見たのは夢だったのだと気づく
看守と老神父が立っている
夜明けに腕を引かれ、故郷の青々とした草にふれるだろう
そして私は古い樫の木の草むらに横たわる」
日本ではこの内容までを歌詞に入れてしまうと、あまりにもシビアで後味が良くないので懐かしい歌詞だけで作り、それがうけてヒットしたのでしょう。
めでたい宴席でこの曲を歌ったことがある人がいたとしたら、ちょっと複座な気持ちになるかもしれませんが我々日本人は、日本の曲とアメリカの曲とは別物と考えた方が良いかもしれませんね。
西城秀樹の「ヤングマン」の原曲「YMCA」はもともとゲイをテーマにしたそうですが、日本では若者の応援ソングとして親しまれているのでそれと同じかもしれません。
馬頭琴とスーホの白い馬
今までに何度か馬頭琴という楽器の演奏を鑑賞したことがあります。この楽器はモンゴルを代表する弦楽器で、弦の本数が二本のモリンホール「馬の楽器」ともよばれています。楽器の先端部分が馬の頭の形をしているので馬頭琴とよばれ、この楽器の奏でる素朴な音色はモンゴルの大地を彷彿させます。私はまだ訪れたことはありませんが・・・
何年前でしょうか、初めて馬頭琴の演奏を聴いた時に演奏者がそれを奏でながらこの話をしたのです。
この馬頭琴という名前の由来として心に残る少し悲しい話で、日本では幾つもの絵本にもなっており、教科書にも載っているそうですが、私はそれまで聞いたことがなかったのでご紹介します。
昔、モンゴルの草原に住む遊牧民の少年スーホは、羊飼いの仕事の帰り道で弱っていた白い馬を見つけ連れて家まで帰ってきました。
やがて白い馬は元気になり、スーホと毎日草原を走り回るようになりました。
それからしばらくして、領主が競馬大会を開き、優勝者に自分の娘と結婚させると宣言したのです。
スーホは周りの勧めもあり、立派に成長した白い馬と大会に出場したところ見事に優勝してしまいました。
ところが、領主は貧しい身なりのスーホに娘と結婚させないだけでなく、銀貨3枚を渡し白い馬も取り上げ暴行して放りだしたのです。
スーホは大好きな白い馬を奪われ毎日悲観に暮れていました。
ある日、白い馬は隙をついて逃げましたが、その時に領主の家来たちに何本もの矢で射られたのです。
なんとかスーホの家に辿り着いた白い馬でしたが、瀕死の状態で翌日には死んでしまいました。
ある晩、スーホの夢の中に白い馬が現れ、「自分の骨で楽器を作ってください。そうすればいつもスーホと一緒です」と言いました。
このようにしてできたのが、馬頭琴という楽器でした。
その逸話を聞いて以来、私は馬頭琴の演奏を聴くたびに、この物語を思い浮かべてしまいます。
ちなみに私が今年、馬頭琴の演奏を聴いた時の演奏者は、日本人の美炎(miho)という女性アーティストで、モンゴルの馬頭琴の人間国宝チ・ボラグに認められただけあり、演じた曲は心に染み入るようでした。