第148回 視点を変える 〜和尚とアブ〜
熱心な信者や檀家ではないのですが、曹洞宗「禅」の講和には年に何回か参加します。その中で何度か取り上げられた面白い「和尚とアブ」の話しがあり、なぜ「視点を変える」ことが大切なのかを教えてくれる逸話です。
「視点を変える」とは、「角度を変えてみる」とか「視野を広げる」とか「相手の立場を考える」とほぼ同義語です。「目から鱗が落ちる」ということわざもありますが、これを自覚することにより抱えている問題を解決したり、別の良い結論に達したりすることができるのではないかと思います。
江戸時代、大阪の円通寺というお寺に禅僧の風外という和尚がいました。
この和尚の描く絵は素晴らしいもので、池大雅に学んだほどです。
風外は絵を描くのと座禅の修行にばかり専念して、その他のことには無頓着なので、寺は荒れ放題でしたが、のちには大哲人と呼ばれたほどの名僧でもありました。
ある日、大阪屈指の豪商、川勝太兵衛が何事か大きな悩みごとを抱えて、風外に助言をもらおうとその荒れ寺にやってきました。
太兵衛は自分の苦しい現状を話し始めましたが、さっぱり熱心に聞いてくれない風外はあらぬ方向ばかり見ています。
何を見ているのかとその方向を見ると、一匹のアブがぶんぶんと飛び回っていました。
そのアブは破れている障子にぶつかっては落ち、また飛び上がっては障子に突進して落ちる、和尚はそれをずうっと見ていたのです。
たまりかねた太兵衛は、「和尚さまは、よほどアブがお好きと見えますなあ」といいました。
「おお、これはすまん。アブがあんまり面白いので、あんたがいることをすっかり忘れていたよ」と謝りながら次のように話したのです。
「よう見なされ。この破れ寺、障子は穴が開いているしどこも隙間だらけ、少し落ち着いてあたりを見ればどこからでも出られる。それでもこのアブ、あの障子からしか出る所がないと思って何度もぶつかって落ちている。このままだとあのアブ死んでしまうじゃろう」
続けて風外は言いました。
「可哀そうなのは、何もアブだけではござらぬ。人間もこのアブと同じことをようやっていますのじゃ」
この言葉を聞いた太兵衛、ガツンと頭を殴られたような気がしました。
「ああ、そうだった。わしはこのアブとおなじだったのだ」
風外の教えに目が覚めたようになった太兵衛は、厚く礼を述べたのです。
真実はともかく、この逸話には落ちもあるようです。
風外和尚
「お礼はあのアブにいいなされ。これが本当の南無アブ陀仏だよ。いや失礼、南無釈迦牟尼仏」と言ったとか言わないとか。
「視点を変える」ということは、「言うは易く行うは難し」のことわざ通り、実際には大変難しいのです。
それについては、講和していただいた青山 俊董尼(しゅんどう)は諭すように話されていました。
「気づかないのは自我であり、自分をアブと気づくことは自己なのです」
その気づきによってもう一人の自分を探し、一皮もふたかわもむけるのではないでしょうか。
青山尼僧は講和の最後にガンジーの残した含蓄のある言葉も紹介されました。
「明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。」