第137回 不思議の国フィリピン 〜久しぶりのマニラで考えた・・・〜

第137回 不思議の国フィリピン 〜久しぶりのマニラで考えた・・・〜

 国内では、7月の参議院選挙の日に衆議院選挙もやるとかやらないとかで、与野党間での駆け引きやら疑心暗鬼の中で、背広を着た魑魅魍魎が跋扈しているようである。

 

 3年ぶりに行ったフィリピンの首都マニラでも、選挙で国中が沸きに沸いていた。そこで、今回はその驚きの選挙のことや、ある面では日本より安全で居心地の良い比社会について取り上げてみた。

 

 私が訪れた5月12日の日曜日は、統一国政・地方選挙(中間選挙)の前日であった。

 フィリピンでは投票日とその前日はLIQUOR BAN(アルコール禁止)といって、酒の販売も提供も禁止される日なのだが、なぜか到着したその日は居酒屋でビールを飲むことができた。

 あとで知ったことだが、外人が飲食する場所が密集しているエリアは、外人のみアルコールを提供することが許されるそうだ。どうりで居酒屋やカラオケ店(日本のキャバクラ)も堂々と営業しているようだが、中にはフィリピン人らしき輩も見かけたりした。

 街中のコンビニでは酒が入っている棚にも貼り紙が貼ってあり、このLIQUOR BANの2日間に酒を飲んで捕まったフィリピン人はマニラで300人位いたらしい。酒飲みにとっては過酷な48時間だが、日本でもアルコールではないが、月に1日禁煙デーを設けて違反したら10万円の罰金を徴収するなどしたら、いかがだろうか。

 

 フィリピンの中間選挙は「1期6年の大統領任期の折り返しの年に実施し、上院の半数にあたる12議席、下院の約300議席、全81州の知事など約1万8千のポストを選ぶ」という大々的な選挙である。

 ここで不思議なのは、上院の定員が24名で下院の300名に比べて圧倒的に少ないことだ。その半分の12名が今回の改選の数になる。

 その選挙は候補者名の印刷してある用紙に、自分が選びたい人物をマーカーでチェックするのだが、1人ではなく12名をチェックしなければならない。だから、人気投票のようで、知名度が最優先になってしまう。そして、最低1千5百万人のチェックマーカーが必要なのだという。そんなに票を集めることができるのかと思ってしまうが、当国では選挙率が日本と違って有権者の関心が高く、80%を優に超すのが毎回の実績である。

 投票日は平日だが、国の公認の休日となるため、そして休日出勤は割り増しの賃金が義務付けされているためかほとんどの企業が休みになる。

 投票は事前登録が必要で、あらかじめ選挙管理事務所で投票する旨の手続きをしなければならず、投票時は親指に赤いインクをべっとり塗られ、インチキができないようにしている。投票日翌日の14日に現地のフィリピン人に私が「昨日は選挙をしましたか?」と言ったら赤い爪を見せられたが、洗っても1週間近く残っていると苦笑していた。

 

 今回の選挙でもドテルテ大統領の人気はすさまじく、上院は12人中11人の大統領派が当選し総計では24人の内18人がドテルテ派になってしまった。

 また、「大統領一家圧勝」の記事がマニラ新聞に載っていて、故郷ダバオ市の市長選挙は現職の娘が99%以上の得票を得、二男も副市長に当選、長男も95%以上で下院当選したとの報があり、まるでホワイトハウスのトランプ大統領の一家のようである。

 

 当地の新聞では「高投票率の他に買収容疑で297人、銃の不法所持5500人、酒の提供禁止986人逮捕された」との報があり、ただでさえ過密状態の刑務所は、収容が間に合うのだろうかと心配になる。しかし、フィリピン国内の刑務所では4万人以上投票したというから、見方によっては素晴らしいのかもしれない。

 ただ、この選挙で110人以上が亡くなったのだが、警察当局では前回の2016年よりは減少したと胸を張っているようである。

 

 フィリピンでの選挙は日本では考えられないほどのお祭り騒ぎと阿鼻叫喚であり、現ナマが飛び交い乱闘が発生し死傷者が多数出て物騒である。そして日常生活でも、強盗や金銭のもつれなどの障害や殺人事件も多いが、一つ日本よりもはるかに安全な場所がある。

 

 それは「家庭」であり「家族」である。

 

 日本では親が子を虐待して死に至らしめたり、反対に子が親に危害を加えたり殺人事件になったりと、連日のように報道される。2016年に摘発した殺人事件や未遂のうち50%以上が「親族間殺人」という日本の現実があるが、フィリピンではそのような事件を見聞きすることは全くなかった。

親は子を慈しみ、子は親を大事にし、兄弟や親せきはお互いを助け合いながら貧しくとも明るく生活をしている。

 

 高齢者に対しても日本以上に大切にされるような気がする。今回の帰国の際マニラの空港が大混雑し、チェックインはなんとかしたのだが出国の入り口まで大勢人が並んでおり、フライトの出発まであと40分と時間が押してしまった。

「これは到底間に合わないかもしれない‼」と暑さによる汗と焦りの冷や汗をかきながら同行者と覚悟していたら、係員が我々の所にスルスルと来て何事が話しかけてきた。袖の下でも要求するのかと思ったら、そんなことはなく、シルバーは特別に出国を別なゲートから出してくれるということで親切にそこまで連れて行ってくれた。おかげでギリギリセーフで搭乗することができたのには、感謝感激であった。

 

 フィリピンでは「孤独死」という言葉は存在しないし、その現実もほとんどないようで、フィリピンの女性が日本に「孤独死」が多いということでそれに驚き、自分が監督になってドキュメンタリーの映画を作ったほどである。

 

 フィリピンは国としての弱点はいろいろとあり、日本と比較すると経済的な豊かさは段違いに劣る。しかし、国民の半分以上が貧しいといわれるフィリピンの人達の家族や親族に対する心の温かさは、日本とは比較にならないほどの温度差である。そして、親族はもとよりスラムに流れ着き日本に帰れなくなった日本人を、何の関係もない近所の人たちが面倒を見ているという例もあるようだ。

 

 このフィリピンの人を思いやる心の豊かさと比べて、月とスッポンの差ほどに離されてしまっている日本、いつもこの不思議の国を訪れるたびに、どちらが幸せなのか考えてしまうのである。