第129回 イヌ型社員とネコ型社員・論
人手不足で、巷では「猫の手でもいいので借りたい・・」という社長や経営者の声を聞くことがある。
そこで私は「なぜ猫の手は借りたいのに、犬の手を借りたいとは誰も言わないのか?」と思ったりする。そして、妄想はさらに膨らみ、自分の元で働いてもらうとしたら猫が良いか犬が良いか、ネコ型社員かイヌ型社員かなどと擬人化して比べてしまう。
客観的に考えると、猫はネズミを捕る以外は実用的には役に立たず、そんな何もしない猫にでも手伝ってもらいたいほど忙しい、ということからそう言われているようである。
実際に手伝うかどうかはわからないが、犬の方が喜んでやってくれるのではないか、番犬になる、羊の世話をする、そりを引く、芸をする、盲導犬、警察犬、災害救助犬、麻薬犬、猟犬、闘犬、最近ではセラピー犬や介助犬もいる、更にお手をする、チンチンする、お座りや伏せもする、八面六臂、四肢奮闘、縦横無尽の活躍である。
それに比べて猫はなにもしない、徹頭徹尾なにもしない、朝から晩まで1日中ただゴロゴロして、居眠りして、背伸びして、爪を研いで、近所を徘徊しても足も拭かずに家に上がり込む、何もしないのに餌だけはせがむ、それでも「可愛い」せいか日本では猫が犬の飼育数を越してしまった。
ところが最近、世間では猫型社員が持てはやされているようなのである。「ネコ型社員の時代」とか、「自由に動けるネコ型社員」とか、「気まぐれでしたたかなネコ型社員」などとネコ型社員を大絶賛している。
なぜネコ型社員がいいのかというと、次のようなことのようだ。
・ 出世のためにあくせくせず、得意分野のために爪を磨く
・ マイペースで個人主義的
・ 人との関わり方を縦ではなく横で考える
・ 指示されてからではなく、自発的に動く
・ 周りのことを気にせずに、直感を大切にする
似たような意味合いはあるが、独立独歩、唯我独尊、馬耳東風ともとれてしまう。
「現代の企業は、イヌ型社員は不要、ネコ型社員だけの方が良い」などと言う意見もあるようだが、本当に前述のような社員だけになってしまったら、会社はどうなってしまうのかと心配になる。
イヌは人につきネコは家につくともいう、ということは「イヌ型」は経営者や上司や同僚などとは、なるべくコミュニケーションをとり、場合によっては上司がトラバーユして起業した時にでもついてくのかもしれない。そして自分が転職や会社が倒産したりしても、当時の仲間との絆を大切にするのだろ。イヌは主人を求めて数百キロも旅をして再会を果たすという実話を何度も見聞きした事があるが、「イヌ型」は人を大事にするのではと考えてしまう。
反面、「イヌ型」は上下関係を大事にしすぎ、場合によっては過剰な忖度をしてしまうことがある。そして、規律規則をよく守るがそれを外れた時には、許すという寛容さがないのかもしれない。
「ネコ型」は家、言い換えると会社につくので、いったん会社に入ったら景況に関わらず、終身雇用のように同じに会社に居つき、たとえ会社が左前になっても最後の最後まで会社と命運を共にするのだろうか。給料が下がってもボーナスが出なくとも上司や同僚が少なくなっても、燃え尽きる城とともに滅びていくのだろうか。
それとも、自由奔放だし独創的なので、組織にはなじみにくいから状況を見て飛び出すのだろうか。
現代はもしかすると、そういう「ネコ型」の方が個人的には生き抜いていけるのかもしれないが、私はやはりバランスが必要なのではないかと思う。
「イヌ型」が2に対して、「ネコ型」が1の割合がちょうどよいのではないか、アップルの創業者スティーブジョブスは、典型的な「ネコ型」のようである。学生時代にはその天才的な発想で友人と国際電話を無料でかけられる装置を作り(もちろん違法)、学生仲間に売りさばいたこともあった。その後ガレージで起業をはじめ、25歳には全米の長者番付にもランクインした。しかし、その「ネコ型」の言動が災いし仲間との軋轢や経営方針の違いから、アップル社から追い出されたり、ふたたび起業したり、再度アップル社に招聘されたりと紆余曲折の経営人生を送った。
もしアップル社が全員スティーブジョブスのような「ネコ型」であったら、どうなったのだろうか。やはりそこでは「イヌ」と「ネコ」の共存があったのではないかと思う。
経営者や管理者は、部下がどのようなタイプの「イヌ型社員」や「ネコ型社員」かを見極めながら仕事を進めていくのも、いい方向に行く一つの手段かもしれない。
ただ、「うちの社員は、ウマやウシやヒツジもいるのだぞ」などと、言われる恐れはあるのだが・・・