第125回 昭和回想録その12 〜昭和歌謡御三家など〜

第125回 昭和回想録その12 〜昭和歌謡御三家など〜

 平成の時代がもうすぐ終わって新しい元号になりますが、5月になると昭和と平成それに新しい○○時代を3代にわたり生きてきたと、改めて実感する昭和生まれの人が大勢いるかもしれません。この感覚は明治と大正の時代を過ごして昭和を経験した人生の先輩たちと同様な気持ちだと思います。

 

 昨年5月に西城秀樹さんが亡くなりましたが、彼は昭和の新御三家の一人でした。彼が亡くなる前の年に少し不自由な体ながら、「YMCA」や「情熱の嵐」を熱唱したのを生で観たので、私には余計に昭和の人が又逝ってしまったのだなあと少し感傷的になったことを覚えています。

 

 そこで今回は、以前にもご紹介した日本人の好きな「3」という数字をメインに、昭和時代に活躍した御三家の話しをしたいと思います。

 

 昭和歌謡の御三家というと「哀愁の御三家」あるいは「三羽カラス」と呼ばれた三橋美智也、村田英雄、春日八郎が筆頭にあげられます。なぜ三波春夫が入らないのかわかりませんが、彼らは昭和20年代から活躍しました。中でも三橋美智也は突出しており、ミリオンセラーを日本最高の32曲、生涯売り上げたレコードは1億600万枚というから舌を巻いてしまいます。

 

 少し時代が進み「ロカビリー三羽がらす」として登場し、観客が失神してしまうという社会現象を巻き起こしたのが山下敬二郎、ミッキー・カーティス、平尾昌章でした。私の10歳違う姉たちが、東京まで8時間かかる急行列車に乗って彼らが出演する劇場に行ってその様子を興奮気味に話しているのを聞いて、幼心に驚いたのを今でも思い出します。

 

 ロカビリーブームの数年後には「御三家」と呼ばれた、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦がほぼ同じ時期にデビューし一世を風靡しました。彼らのヒット曲と共に映画もたくさん作られ、その時代の若い女性の胸を熱くさせました。テレビの歌謡番組では彼らの顔を観ない日はないという位の大人気で、その歌のうまさはやはり今聴いてもほれぼれしてしまいます。

 

 昭和40年代の中ごろには、「新御三家」の、郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎が1年の間に次々と登場し、個性のある声や歌うスタイルなどで男性アイドルの先駆けとも言われました。彼らのヒット曲のほとんどは、今でも覚えており口ずさむどころか、たまに行くカラオケでも歌ってしまいます。

 

 女性歌手は御三家とは言いませんが、昭和30年代初め頃に元祖「三人娘」が抜群の存在感を誇りました。この3人は言うまでもなく、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみですが、全員が昭和13年生まれの同じ年に生まれたのは単なる偶然なのでしょうか。やはり、それぞれが個性のある歌声でその歌唱力は、歴代の女性歌手を序列してもトップテン入りは間違いないでしょう。

 

 昭和30年代後半には、「スパーク三人娘」と呼ばれた中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりがヒット曲を連発しました。紅白歌合戦にも何度も出演し、テレビ番組や映画にも3人揃っての出演も多く、彼女らが20代の時には、仙台で姉に連れられて公演を観に行ったこともありました。ちなみに、私は3人の中では、伊東ゆかりのファンでしたが、彼女が佐川光男と結婚したのには少しがっかりしたのでした。

 

 昭和40年代後期には可愛い系の歌謡ポップス「新三人娘」の女性アイドル元祖が相次いでデビューしました。南沙織、小柳ルミ子、天地真理の3人ですが、主婦に納まったM、今も現役のK、そしてとんでもない姿になったAと人生とはいろいろあるのだなあと、改めて考えさせられる3人でした。

 

 「花の中三トリオ」と呼ばれた、森昌子、桜田淳子、山口百恵はやはり昭和40年代後期に活躍したのですが、なんといっても全員が中学3年生ということには驚いてしまいました。彼女ら3人も昭和の真っただ中の人達ですが、ついこの間のように思うのは私だけでしょうか。

 

 「昔のことばかり話してばかりいる・・」と若い人たちに叱られそうですが、大学の先生や老人ケア施設などの担当者は、「昔のことをシニアの方が思いだしながら話しをするのは、脳が活性化してボケ防止効果があります。」と言っていました。

 ですから、自分自身のためにも今後も昭和の話しを続けていきたいと思います。

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