第122回 近所の外国人たち 〜我が家もグローバル化?〜

第122回 近所の外国人たち 〜我が家もグローバル化〜

 近所が外国人だらけになってしまった。家にこもっていない限り、外国人を見かけない日は1日もない。

 

 歩いて10分以内にあるコンビニは5軒以上もあるが、ほとんどの店で外国人が応対してくれる。商品をレジに持っていくと彼らは「○○のポイントカードワ、オモチデスカ?」と本当はカタカナで表記しなくとも良いくらいの流ちょうな日本語を話す。

 中国人、ベトナム人、ネパール人が圧倒的に多く、日本人に見えてもネームプレートを見ると「王」とか「李」とか「張」とかになっているので、この店員は中国人だなあとよくわかる。

 ベトナム人の場合は顔が我々に似ているが、名前が「グエン・ナム」とか「フエン・ホア」などカタカナで書いてあるので推察できる。わからないと「どこの国の人ですか?」と聞き、あわせて「留学生なの?」と尋ねるとほぼ全員がイエスなのだ。

 

 ネパール人も多いが彼らはほとんどが濃い顔をしているので、容易に判断することができる。くっきりはっきりした顔立ちから、歯切れのよい日本語を話されると「最近の日本の若者の話し方はなっていない・・」などと愚痴が出るほどに達者な日本語である。

 

 近所のアパートの前の路上に自転車が増えだした。数は20台くらいあろうか、前の持ち主が高齢になり売却し、そこにベトナム人語学留学生が住んでいるらしい。新しい持ち主がベトナム人で県外に住んでいるとかで、近くの幼稚園の通学路にもなっているので親が事故を心配しているのだが、交渉もままならないようだ。

 

 また近くの八百屋の裏のアパートには多くのネパール人が居住している。当然その八百屋では彼らを見かけることが多い。その店のおばちゃんに「コノダイコンイクラ?」などと尋ね「150円だね」などと彼らが商談をしているのを見ると、東南アジアの市場の一角を思い出し「ムムム・・ココモ、コクサイカ・・」などとつぶやいてしまう。

 

 いつも通う床屋にも外国人が時々来ている。先日も私が散髪をしてもらっていたら、「イマデキマスカ?」と日に焼け過ぎたような顔に白い歯が目立つネパール人が入ってきた。店主が「あと30分はかかるよ」というと、私がやっているのに「モットハヤクデキナイ?」などとせかすようなことを言う。「できないね」と言われると残念そうに時間がないのか引き上げていった。

 店主の話しでは、彼らは語学留学生でお金がないので正規の半分以下でやる、その代わり散髪のみでシャンプーや髭剃りや肩もみなどはやらない。案外おしゃれで髪型の注文はきっちりするという。節約のために自分でするのだと思っていたら、そうでもないので少し驚いた。

 

 インド料理のレストランにもたまに行くが、そこには必ず厨房ホール共に必ず外国人がいる。私が話しかけるのはホールの外国人だが「インド料理レストラン」なのに、インド人に遭遇したことはほとんどない。やはりネパール人語学留学生が多く働いており、ヒンディー語とネパール語は親戚の関係でよく似ているので、彼らが一緒に働いていてもあまり支障がないようだ。顔立ちも我々にはあまり区別がつかないので、「この店にインド人はいないの?」というと困ったような顔をしている。

 先日、知ったのだが北海道の日高地方の浦河町では、インド人が急増しているという。町にはインド人が100人以上いて、ほぼ全員が調教師をやっている。この地方は競走馬の産地で、英国の植民地だったインドは競馬が盛んなので調教師が多く、即戦力として急増し今では絶対に欠かせない人財になっている。

 

 飲食店も外人が多く、回転寿司店以外にはこの店しか行かないという昔から知っている寿司屋にもベトナム人がいた。親方が言うには、以前に別なベトナム人が学校に行っている時から、自分の店でアルバイトをしていた。卒業したら自分の店に入れ、ゆくゆくは海外展開の人材にしようと思い、新規のビザの取得のためにいろいろと世話をした。苦労の末に彼が店に入ったのだが、2ヶ月で辞めてしまい他の店に行ってしまった。そのベトナム人は生活態度や性格も良かったのにと肩を落としていた。それでも、今度こそベトナム人に戦力になってもらうのだと、あきらめずにまたベトナム人を入れて鍛えているようだ。

 

 年末にスーパー銭湯に行ってきた。Rの湯といって湯船の数が多く、特に炭酸風呂が自慢の所である。何種類か風呂に入った後に電気風呂に入ろうとしたら、一人用の4つの湯船のうち3つに人が入っていた。やれやれと落ち着いたら、両となりに色黒と毛深い外国人、左にいた毛深い彼の首やら腕には、金色のネックレスとブレスレットが光っており思わず注意、「危ないから、首輪と腕輪を外したほうがいいよ」。すると右の色黒の彼が、「کے لئے خطرناک سے باہر دیکھو‼」と毛深い彼に言い、私には「友達は日本に来たばかりなのです」と弁解気味に言ってきた。「ネパール人なの?」と私が尋ねたら、パキスタン人だという。色黒の彼の兄が近くのT自動車関係の協力工場に働いており、家族ビザで来日して8年も同工場に勤務しているのだそうだ。

 ちなみに宮城県の外国人人口増加率は、県別で6位の45.6%で意外に多くの外国人が居住している。

 

 先日、映画を観に行ったら同じ列に、愛犬の散歩でたまに会うことがあるフランス人の年配の女性に偶然会った。また、やはり散歩をしていると庭の手入れや、飼い犬の世話をしている中年のアメリカ人とも挨拶を交わす。

 

いつのまにか、我が家の近所はすっかりグローバル化していたのだった。