第116回 姿かたちで判断 〜中国のお偉いさんは9696と2323〜

第116回 姿かたちで判断 〜中国のお偉いさんは9696と2323〜

 いつも思うのだが、中国の政府の指導者たちのほとんどが頭髪は黒くふさふさしている。身長も高く背筋を伸ばし猫背で歩くような人物はまず見かけない。この疑問をある中国通の方に尋ねたら、「中国人は外見にひどくこだわりがあるので、それなりに対処しているのです」との納得の返答をいただいた。

 日本の政治家と比べると中国の政治家の頭部は、頭髪対策のメーカーの電話番号に多い9696と2323である。ということは、しかるべき努力でそういう見てくれにかなりの時間と労力とお金をかけているのだろう。

 しかし我々日本人も、美容と体型にかけるエネルギーはただ事ではなく、美容産業だけで年間に5兆円の規模があるという。ということは、我々は人を外見や姿かたちで、かなりの比率で判断してしまうことが多いからに違いない。

 

 普段と違う服装をしただけで、どこの誰だかわからない、あるいは常に抱いているイメージと違う印象を持つことはよくある。

 

 ある日、街中で見覚えがある人が歩いていたので「こんにちは」と言ったと同時に、誰だかわからなくてつい声をかけたことを後悔してしまった。先方は私のことを知っているようで、挨拶を返したのだが思い出せず、冷や汗をかいたことがあった。

 その人と別れてすぐ誰だか思いだしたのだ、時々通っていた病院の医師だったのだ。いつも会う時はその先生は白衣姿なので、それ以外の服装では見たことがなかったからだなと気がついた。

 

 同じように会社でいつも作業服を着ている社員と繁華街であったりしても、私はほとんど気づかなくて、声をかけられることが多い。

 また会社の行事で着飾ったり正装した社員に会うと、小野小町か楊貴妃かと見間違うような眉目秀麗な美女になっていたり、ホストクラブのナンバースリーに入るのではと思う位の男前ばかりで、思わずいつもよりも丁寧に話してしまう。

 会社の忘年会で温泉に泊まり、宴会の場で全員が浴衣を着ていると、男女にかかわらず顔はわかるが名前が出なかったりする。だからといって宴会に来るときも作業服を着てくれ、名札を付けてくれという訳にもいかず、お酌をしに来たのになんとか名前を言わないでやり過ごすこともあった。

 

 少し話が脱線するが、会社では汚れやすい職場や大汗をかく職場のどこに配属されても、いつも清潔にきりっとした作業服を着ている社員がいた。その社員を現場から管理に移動してみたら、やはり正確無比な仕事をやっていた。やがて彼は管理職になったが、表裏のないしっかりした外見は中身にも通じるものだなあと改めて思ったものだ。

 

 最近のテレビはハイビジョンや4Kになり、テレビに撮られるタレントや俳優、歌手や政治家などの有名人や、インタビューを受ける一般の人々の顔がこれでもかというくらいに画面いっぱいに映し出され、本物以上に顔の現況がわかってしまう。

 その精緻さは直に見るよりも、顔や頭を顕微鏡や虫眼鏡で見たような未知の画像、あるいははやぶさ1号が高精度カメラでイトカワを映したごとくはっきりくっきりと見ることができる。

 

 往年の美人女優やキュートで可愛らしかった歌手が、ドアップで映されるとそのあまりの悲惨さに目をそむけてしまう。

 また、ある年配の政治家が持論の政策をぶち上げるのは良いのだが、鼻毛や耳毛までも触れることができるのではと思う位にくっきり浮き出て、本人の政策よりもそっちの方が気になることもある。

 経済のアナリストが明らかにKATURAとわかるものを装着し、口の両端に白い泡をたくわえて力説しているクローズアップの顔を見ていると、「この人も随分と歳をとってしまったのだなあ」などとどうでもいいことばかり考えてしまう。

 

 「外見より中身」と思ってはいても、実際は「外見重視」もしている矛盾に我ながらあきれてしまう。それでも「顔つき」や「目つき」というものはなかなか変えることができず、少なからずその人の内面が出てしまうはずである。であるからして、わずかでもそういう目で人を見ることを意識したいなどと、ド迫力の顔面が映し出されているテレビを見ながら、言い訳のように思ったものである。