第115回 多逢勝因 〜縁を大事に〜

第115回 多逢勝因 〜縁を大事に〜

 私のブログの表題が「多逢勝因」となっていますが、今までにこの言葉の意味について詳しく述べたことはありません。この言葉は、陽明学者・思想家・教育者である安岡正篤氏が好んで使っていたという「縁尋機妙 多逢聖因 (えんじんきみょう たほうしょういん)」という言葉で知られています。意味は「良い縁は次々に良い縁になる、そして良い人に多くあうことにより良い結果に恵まれる」ということです。

 私が「勝因」という字を使っているのは、「聖因」よりもわかりやすいという意味があるからで、こちらの字を使っている方も多いようです。

 もともとは「縁尋機妙」「多逢聖因」どちらも地蔵菩薩の経典から出た言葉のようです。

それを陽明学者の安岡氏が、経営者にも理解しやすく実践しやすいようにとこの言葉を多用したのではないかと思います。

 「多逢勝因」をいつも意識すると、人との出会いをより大事に考え、一過性ではなく縁があったから出会ったのだということを思ってしまうのです。

 

 先日たまたま入った中華料理店でのことでした。久しぶりに会った知人と生ビールで再会の乾杯をし、海鮮火鍋や炒め物などを注文し、紹興酒のボトルを つぎつつがれつしていると、なにやら異様な気配を感じたのです。

 

 ふと厨房の方を見ると、私をじっと見ているおたまを持ったままの料理人がいたのです。この中華料理屋は経営者もスタッフもほとんどが中国人でやっている店なので、明らかに中国人のはずです。さらにお互いにらめっこのように無表情で見ていたら、脳の海馬がいきなり目覚めたのです。私は彼のところに駆け寄り「Dさん‼久しぶり、この店に移っていたの?」と思わず聞いていました。

 実は彼は中国の山西省から7年前に日本に来た「刀削麺の達人」なのです。

 バイオリンの奏者のように左腕に練り上げた生地を持ち、シャッシャッと麺を削り出していく鮮やかな手さばきは一見の価値がありました。

 また中国式手延べ麺の職人でもあり、生地を何度も両手で振りながら糸のように細い麺に仕上げていく様子は、まるで中国雑技団の演技を目の前で見せられたようでもあります。そのDさんと数年ぶりに偶然にあったのです。

  

 東日本大震災の前年に知り合いの中国人のRさんが、刀削麺の店をやりたいということで山西省に一緒に行き、そのDさんをスカウトしたということが、彼と知り合うきっかけでした。

 翌年の2011年の震災後にDさんは、労働ビザを取得して日本に来ましたが、運の悪いことに震災直後不景気でその刀削麺の店は閉めることになってしまいました。

 Dさんの消息はRさんから聞いて、その後に別の中華料理店に入ったというので行ってみたら、妻子も呼んで一緒に暮らしているということでした。

 それ以来の出会いということで、再会を彼も大変に喜んでくれ、私たちのテーブルに餃子の差入れもしてくれました。Dさんは奥さんも日本で働いており、娘さんも大学に行っていて日本語もできるので、一緒に会わないかということになり、次の再会は家族も一緒ということになったのです。ちなみに、Dさんは相変わらず日本語はほとんどできず、スマホの翻訳機能でなんとか意思疎通ができました。

 

 海鮮火鍋やご馳走もたらふく食べ、うまいお酒も心ゆくまで飲んだ後に、お勘定をお願いしました。間髪を入れずに店のウェイターが「代金はDさんが払うそうです」と言うのです。私たちは二人ですが、あまり安くはない金額なので彼に身振り手ぶりで遠慮することを伝えたのですが、笑顔を見せながらご馳走するからと押し切られ、結局まったくお金を払わずに飲み食いをしてしまいました。

 中国人としてのDさんの面子を立てることになってしまい、結局彼の1日の稼ぎほどを散在させ本当に申し訳ない気持ちでしたが、それだけ現在の生活に満足しているのかなと考えたりもしたのでした。

 

 「袖振り合うも他生の縁」という似たような言葉もありますが、やはり少しの縁でも大事にすることにより、自分にとっても相手にとっても良い結果に結びついていくものだなあと、ご馳走になったからではないのですが思った次第です。