第102回 富士登山顛末記
平成になってから間もなくなのでだいぶ前になるが、富士山に登ったことがある。
山登りなどほとんどといってやったことのない私が、なぜ日本一のお山に登るのを挑戦したのか、決意したのか、それにはあるシンプルな理由があった。
厄年に健康診断の突然レントゲン検査でひっかかり、すったもんだの末に結局は手術をすることになり2か月間の入院生活を余儀なくされた。手術前は肺活量が5000mlあったのだが、術後には3000ml以下に減ってしまい、自分の体に自信が持てなくなりどこかでそれを回復しなければと考えていた。
その翌年の春に新聞のチラシにY旅行社の「1泊2日富士登山ツアー」というチラシを見て、「これだ‼」と心にストンと来るものがあった。
もしこの体で富士山頂まで登り切れたら自信がつくのではないか、どの位自分の体力が落ちたのかそれも確かめたいなどの気持ちがあった。
登山の予定は8月15日からの1泊2日、仙台から静岡間往復バスの少し強行軍のスケジュール。知人や妻も同行して我々は4人のグループ、仙台駅の近くに朝早く集合し、7時発のバスに乗り富士山の5合目についたのは、夕方の17時である。
バスの中で「今回の参加者は35名です。皆さんもうすぐ富士山の頂上を目指しますが、ほとんどの方は初めてのようですので、決して無理をなさらないでください。途中に苦しくなった場合は恥ではありませんので、その時は是非引きかえしてください。」と添乗員からの注意があった。
五合目海抜2305mのレストランで夕食をとり、明日の朝食用のおにぎり2個と缶詰を支給されリュックに詰め込み、7合目を目指し登山スタートである。そのレストランで一合目ごとの焼き印を押すため金剛杖を買い、頂上まであと5回焼き印を押すぞと決意を新たにする。
我々の吉田登山ルートは初心者が登るコースだそうだが、六合目までは案外に歩きやすい広い道で木々の間をあまり汗もかかずに進んでいく。やがて道は神社を過ぎていくと、ごつごつした岩だらけの本格的登山道になり、草木はほとんど見当たらず息も少し上がってくる。道はジグザグで標高の何倍も歩かなければならず、この先本当に頂上まで辿り着くことができるのだろうかと少し不安になる。
七合目2750mの山小屋についたのは、21時ごろなので400m登るのに1.5時間かかった計算になる。ここで24時まで仮眠するというのだが、あまり広くない小屋に魚市場の冷凍マグロのように床に登山者がいっせいに横たわる。マグロと違って雁首を揃えてではなく、頭足頭足と交互に寝るのでもぞもぞと足を動かそうものなら、隣の人の頭をサッカーボール如くキックをするはめになる。それに加えて歩いた後の汗と蒸れた足の芳香がすぐそばから漂い、夢うつつに横になっていると「出発」の掛け声で起こされてしまった。
少しぼんやりした頭を振り自分に「喝ッ」をいれ、真っ暗な登山道を懐中電灯で足元を照らしながら注意深く歩く。初心者向けの登山道といっても、転んだら大けが間違いなしの岩場の連続、上からの落石にも注意しなければならない。そしてシーズンピークなので御来光を目指す人たちで、懐中電灯の明かりが延々と上を目指して動いている。
八合目までに岩場はさらに険しくなり、今までの息の「ハアッハアッハアッ」が「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と炎天下を無理やり散歩されている犬の如き息づかい。数分歩いて立ち止まり、また数分歩いて息を整えることを無限に繰り返す。
途中自転車を担いだ青年が我々を追い越して登って行ったが、信じられぬという思いで見送ったが、なかには頂上まで麻雀台を担いでいき、4人で山頂マージャンをやってのけたという輩もいるというから脱帽してしまう。
やはり標高3000mを越してくると、寝不足もありかなり体力的に厳しいのでこの辺でリタイヤして引き返す人も少なくないという。八合目のあとに本八合目3400mという標識もあり、さすがに「胸突八丁」というだけある。ちなみに「胸突八丁」とは、「富士登山で頂上までの8丁(約872メートル)のけわしい道」であり、「 物事を成し遂げる過程で、いちばん苦しい正念場」との意味である。ここで同行した妻は軽い登山病になり嘔吐してしまったが、なんとか付いてきてくれたので一安心であった。
富士山頂の少し前であったが、雲海の向こうが少しずつ紺色から黄金色に変化し、御来光を拝むことができた時には、初めて見る太陽のあまりの美しさにやはり感激感動してしまった。
それからほどなく山頂3776mに着いたのは予定よりも1時間半ほど遅れ午前5時半ごろであった。我々グループ全員無事に完登し、みんな息も絶え絶えのヨレヨレであるが顔には「やり遂げた!」の文字が浮かんでいるような表情であった。
5合目までの帰る時間が押していたので、朝食もとらずに下山を急ぐが吉田・須走ルートで登りとは違った砂が積もった道である。それが八合目から六合目まで延々と続き、雲海が下に見えるのだがいくら歩いてもなかなか進んだような気がせず、時々滑りながら下っていく。体が常に前かがりになり3時間近くかかり集合場所に到着したのだが、あとで靴下を脱いだら全部の足の爪が黒血になっていたのには驚いてしまった。
一昼夜の富士登山激闘の汗を富士急アイランドの風呂で流し、仙台にバスが到着する20時まではほとんど泥のように寝ており帰りはあっという間の旅程であった。ちなみに、参加者35人中登頂成功は十数名の半分程度と添乗員が話していた。
私の場合は登山の目的は前述のとおりであり、自分にとってはまさしく心身ともにプラスになった富士登山であった。
今では年間に30万人近く登るという富士山、そのうち2割が外国人という富士登山、やはり日本人であれば1回はそれにトライしてみることを是非ともお勧めしたい。