第101回 中堅社員の定着化「あの手この手」後編

第101回 中堅社員の定着化「あの手この手」後編

 「人は城、人は石垣、人は堀」という武田信玄の名言とは、国でも会社でも「人」が一番大事ということはだれでも知っている。

 しかし、先般のT大統領とK委員長の会談の一連の報道や今までの双方のやり取りを見聞きして、「人は城」や「6S」という根源的なものが二人とも持っているのかと思ったのは私だけではないはずである。

 すなわち、誠実、誠意、清潔、節操、節制、正義の「6S」は人と接する時に特に必要なはずなのに、どれもないがしろにしているのではないだろうか。

 

 この二人を反面教師にして、社長こそ6Sを心に留めながらちょっとした気遣いや、施策を講じればいいのではないかと思ってしまう。

 

 

やはり教育 ~社内営業はNG~

 辞典にはコミュニケーションとは「社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと」とある。基本的には親しい仲間だけではなく年齢や上下に関係なくやるものであるが、どうしても組織となるとそれがうまくできなくなる。

 上からのプレッシャーは部下の意識にもよるが、その強さの度合いによりコミュニケーションというよりも「社内営業」になる恐れがあるので気をつけたい。

 「社内営業」はどうしても「ヒラメ社員」を増殖することになり、それが忖度となって様々な弊害をもたらすことになる。本来は社内外どちらも同じように大事なはずだが、外よりも内が大事という意識を持ってしまうと、会社にとっては危険信号が灯ってしまう。

 それにはやはり教育が重要なのだが、「勝利至上主義」の社長は売上と利益を最重要目標にしてしまいがちで、それをおざなりにする傾向がある。

 日大アメフト事件はあまりにもそれが極端に出た例だが、学生スポーツは「成長至上主義」をモットーに人を育てながら結果を出すことにあると考える。

 会社でもある程度安定した企業であれば、社員と会社が共に成長するような教育をやるべきである。

人への投資や教育は「保険」と同じで、いざという時のためにその成果が力を発揮するのではないだろうか。

 あるいは漢方薬やビタミンのように、劇的ではないが少しずつその効果が出てくるものではないだろうか。

 社員教育は経営者の思いを具現化することができるので、行き当たりばったりではなくどういう人財が欲しいのか、自分はどういう社員と共に仕事をやりたいのか、具体的にその姿を描きながら進めてほしい。

 

 

鎮魂碑(慰霊碑)

 これをやっている会社のことを知って、いつか自分もと思っていて果たせなかったのが「鎮魂碑」である。

 長年会社に貢献した社員の中には、定年を待たずに病気や事故で亡くなってしまった人達がいる。

家族が朝起きたら布団の中で冷たくなっていたという20代の社員、40代の働き盛りで通勤途中に交通事故にあい突然この世を去った社員、自分の母親が亡くなってすぐに自分も後を追うように病気で力尽きてしまった高校のアルバイトから頑張ってくれた50代の社員など・・・

こういうことは何度経験しても、思い出すたびに胸が痛くなる。

 このように会社を内外で支えてくれた今はいない方々を悼む象徴として、「鎮魂碑」をつくりたい。

 そして、定期的に鎮魂碑に感謝の祈りをささげることが、「人」大事にするという会社の信条の具現化になるのではないだろうかと思うのである。

 

 

少人数私募債

 私は何度かこの「少人数私募債」を発行したことがあるが、目的は資金調達はもちろんだが、社員の会社経営への参画意識の向上の意味もあった。

 少人数私募債のメリットは、担保や保証人が不要、償還期限や利息や発行金額が自由に決められる、諸官庁などへの手続きが不要、などがあげられる。

 そして、調達対象が50人未満で限定されているが、自社の役員や社員でも応募ができ、さらに会社を支えていただいている外の方々も対象にしても良いのである。

 現在の定期預金が0.01%と超低金利の時代だが、この私募債は資金ニーズの理由にもよるが数パーセントでも当局に否認されることはほとんどないようである。

 会社を運命共同体と考えている社員にも応募してもらい、年に1回の利息でその社員夫婦に温泉にでも行ってもらったりすることもできる。また、社長や役員が銀行に置いておくよりははるかに利率がいい金利を受け取ることができる。

 そして、社債利息の所得税の課税は、ほぼ20%の源泉徴収のみなので、場合によっては役員給与の額と調整しながら私募債を活用することも選択肢として考えても良いかもしれない。

 

 2018年3月期トヨタ自動車が、外人の副社長に役員報酬として10億円以上を支払い、この額は豊田章男社長の3倍近くとのことだ。

 会社の基盤さえしっかりしていれば、社長は自分の部下が自分より働いてくれたのなら、そういう処遇も構わないのではないかと考える。

 それは例えば、新製品の発案や誰も考えつかなかったような特許で会社に莫大な利益をもたらすなど多大な功績があった場合には、日本の企業でも必要ではないかと思う。

 

 「あの手この手」はいくらでもあるはずなので、社長には自社でふさわしい一手を数多く探し出し、それを継続発展させて実行することを願うものである。