第82回 六次の隔たり 〜友達の友達の・・・〜
平昌冬季五輪9日目に我が仙台出身の羽生結弦が、66年ぶりの2連覇を達成した。私も当日はこの偉業を見逃すまいと、テレビに噛り付いていてその瞬間はガッツポーズとともに涙腺が思わずゆるくなってしまった。
昔はオリンピックが始まると、お年寄りが「プレッシャーという外人は強いんだねえ。いろんな協議で日本の選手がこの人に負けているねえ。」と言ったという話があるくらいに日本人はプレッシャーに弱かった。
しかし今の若い人たちは「競技を楽しみたい」、「転んで自分で笑ってしまった」と達観した気持ちで試合に臨んでいるのには、改めて我々との違いを思い知らされる。
その時にふと頭に浮かんだのが、息子がソチオリンピックの少し前に言っていたことだった。「自分の友達の友達に羽生結弦がいる」と私にいったことがあった。
その時に私は「サインでも貰えるかな」などと思ったが、もちろんそんなことはしなかったがそんな考えが頭をよぎったのは、以前に私の友人の知り合いに頼んで大リーガーの選手にサインボールや色紙に私宛の名前入りのサインをもらったことがあったからだ。
それは元東北楽天ゴールデンイーグルスにいた時に沢村賞も受賞したピッチャーの岩隈久志(現在シアトルマリナーズ傘下)選手からである。それらが今では私のお宝となっているのはいうまでもない。そのくらい少しツテをたどれば、それなりの人に縁ができることがある。
ここで取り上げたいのが、「六次の隔たり」という面白い仮説のことである。
それは人というのは全て6段階以内で繋がっていて、友達の友達の友達の友達の友達と広がっていくと世界中の人々はみんな知り合いになるということである。
例えば、Aという人に44人の知人がいたとして、それらの知人がまた各々44人の知人をもっていると仮定し、さらにその知人たちも同じように44人の知人がいて・・ということを6段階くり返す。ただし前提として互いに重複する知人以外という条件が必要である。
つまり44人を6乗すると、約72億5千6百万人となり、ほぼ現在の世界人口に匹敵する数値なので、全世界の人が友達になるということである。実際に他国の人の知り合いがそんなにもいるというのは考えられないが、それを日本に無理やりに当てはめてみると計算上はそうなってしまう。
日本人の大人20人が各々20人の知り合いをもっているとして、それを6乗すると6千4百万人となり、ほぼ日本の就業人口と同じになる。
日本の社会学者が九州にて「北海道の知人を紹介してください」という実験をしたら、北海道の人間にたどり着くまでの平均人数は7人であったという。
また、あるバラエティ番組で「与那国島の日本最西端の地で最初に出会った人に友人を紹介してもらい、何人目で明石家さんまに辿り着くか」という企画が行われたことがあり、その結果は7人であった。
現在のネット社会では、さらにそれが加速されておりFacebookがユーザー15億9000万人を対象に調査を行ったところ、平均して3.57人を介すれば誰とでも繋がっている状態であるそうで、六次ではなく「3.5次の隔たり」に縮まっていたという。
この繋がりを良い方向に活用すれば、さらに世の中は良くなるだろうし、またその逆もあるので「友達」は本当に大事にしたいと改めて思うのである。
羽生選手が勝利した後に、国際オリンピック委員会は、彼が獲得した金メダルが冬季五輪の記念すべき1000個目の金メダルだと発表した。
その報を新聞で見て、やはり息子の友達の友達である結弦君は「運」を大いに持っているのだなあとそのミラクルに脱帽した次第である。