第71回 昭和回想録その6 〜今は無くなった近所の店〜

第71回 昭和回想録その6 〜今は無くなった近所の店〜

 今はコンビニとアパートだらけの住宅街になっている我が家の近所にも、昭和の時代はいろいろな商売をやっている店が数多くあった。もちろん自分が住んでいた家も町工場兼自宅であり、歩いて数分の隣近所でほとんどのことが用を足すことができた。

 

 当時の我が家の近所から歩いて5分のところには、50軒以上の多種多様な店などがあり今のように郊外に行かなくともほぼ日常の生活ができ、その中でも思い出深い店についてお話ししてみたい。

 

 

大衆銭湯「寿の湯」

 当時、自宅のすぐ隣に「寿の湯」という銭湯が営業しており、自宅に風呂のない人や下宿住まいの人達によく利用されて賑わっていた。たまに風呂に入りに行くと、銭湯料を払う時に女湯の脱衣所が垣間見えると少しドキドキしたものだった。

 風呂屋を開ける前の時間は近所の子供らと脱衣所の木の札で鍵のかかる服をしまう箱に入り、かくれんぼをしたこともあった。まだ小学校に上がる前で体が小さかったのでできたが、よく怒られなかったもので、ある時に兄がその風呂屋の隣にある燃料として木くずを積んでいる場所から落ちて手を骨折してしまい、大騒ぎになり母親に怒られていたのを複雑な気持ちで見ていたこともあった。

 数年前に、その銭湯をやっていたご主人が黄綬褒章をいただき、その祝賀パーティーによばれたが、その後の東日本大震災後に廃業して今はその大きな建物に一人住まいをして暮らしているようである。

 

駄菓子屋もやっていたキング食堂

 軒先には「キング食堂」とあるが、店頭には駄菓子を並べており、夏になると花火なども売っていた店で、冬になると回転焼きよりも小さい小判焼きを店頭で焼いていた。確か2個で5円なので小ぶりながら当時の1日10円の小遣いで買うこともでき、よく買い食いしてすきっ腹の足しにしていた。本業の食堂ではラーメンから丼物やカレーライスまであり、小柄だが愛想のいい主人夫婦が仲良くやっていた。

 現在は私の幼なじみがあとを継いで昔ながらの味にこだわっているラーメ屋としてひとりでやっており、たまに私が顔を出すと「いつ閉めてもいいんだよ」といいながら今も近所に残っている貴重な数少ない店である。

 

結婚披露宴も兼ねていた魚屋

 昔の町の魚屋は大変に活気があり、店頭で氷詰めされた魚やさばいた切り身などをホースでジャバジャバと勢いよく洗い、そのしぶきは道路にまで飛んでしまうが、通行人は別に気にすることもなく避けて歩いていた。また店では魚を串にさして炭で焼いているので、夕方になるといい匂いがして余計に腹が空いたものだ。

 店の隣の建物には数十畳の細長くて広い座敷があり、時々結婚披露宴もやっていた。その建物に横付けされたタクシーから、白無垢の花嫁が年配の女性に手をとられて降りてくる。その様子を見ようと近所の人が集まり「まあ、きれいね」とかいいながらもてはやしていた。

 花嫁はおしろいで真っ白になった顔に赤い口紅を引いており、少しうつむきながらもやはり白く塗られた襟元から大きく開いた背中を見て、私は子供心にきれいというより不気味な感じがして少し引いたような気がする。それでも、そういう光景は何度も目にしているうちに慣れてしまった。

この魚屋も今はロープで仕切った砂利の駐車場になっている。

 

骨董品のようなおじいさんの下駄屋

 私の高校生活は、下駄をはき通しの3年間で近所の下駄屋にはだいぶお世話になった。そこの店主は魚の煮干しのように痩せた小さいおじいさんで、遠くから見ると骨董品が置いてあるように見えた。その下駄屋は店に入ると完成品の下駄のほかに、まだ鼻緒が付いていない三箇所穴をあけていた四角い板と、いろいろな模様の鼻緒が随分と多く並べられていた。客が下駄の板と好みの鼻緒を注文すると、足で下駄を押さえ千枚通しとハサミを使い、手にぺっぺっと唾をつけながら鼻緒を取り付けていく。客には下駄に足を通してもらいながら、微調整をしてはき心地を確認させ、客が満足するとそのおじいさんもわずかにニンマリとして代金を受け取ることになる。買った後に鼻緒が切れても持っていくと、無料できれいに直してくれるので何度も行ったものだ。

この下駄屋もいつの間にか不動産屋になっていた。

 

歩いて5分で行けた昔の近所の店達

 石屋兼こんにゃく屋、豆腐屋、酒屋、煙草屋、天ぷら屋、肉屋、米屋、洋菓子屋、ケーキ屋、果物屋、パン屋、お好焼屋、焼肉屋、蒲鉾屋、蕎麦屋、乾物屋、仙台駄菓子屋

本屋、洋裁店、質屋、炭家、床屋、パーマ屋、ブラシ屋、文房具屋、個人英語塾、クリーニング屋、自転車屋、洋服屋、薬局、鉄工所、糸屋、金物屋、材木屋、畳屋、染物屋、屑鉄屋、葬儀屋、お寺、神社

内科医院、歯科医院、外科医院、産婦人科医院、郵便局、保育所、幼稚園

 

 歩いて5分の近所には、ありとあらゆる業種の店がそろっていて、現在の近代的なモールに負けないくらいであった。

 

 今、このうち残っている店は数えるくらいしかなく、街中なのになぜかスーパーマーケットも無くなってマンションとアパートばかりが多くなってしまった。

 

 先日、近所のコンビニで店のかごに山盛りで日用品から食料品まで買っているおばあさんがいた。あまりの品数の多さに店員が二人係でレジをしており、100円の団子を買おうと並んだ私はなんとなくやりきれなくなり、買うのをやめて店を後にしたのだ。