第54回 昭和回想録 〜テレビとヒーローなど〜

第54回 昭和回想録 〜テレビとヒーローなど〜

 1ヶ月ほど前に大学のクラス会をやろうという誘いがあり参加し、45年ぶりであったが、それでも7人集まることができた。

 

 御多分にもれず話題の中心は、年金の話しや自分の病気、亡くなった同級生のこと、自分のお墓のことなど全く色気のない話しが多かった。

 この時も7人中3人が糖尿病でその他の病気持ちもおり、ノンアルコール派が3人いたので2次会も4人ということで少し寂しくなってしまった。

 

 ただこの時に昭和30年代のセピア色の子どもの時代の話しになると、一同だいぶ盛り上がり、山の残雪や干ばつの畑のようになった頭髪や、経年劣化経時変化した顔が子供のような顔に見えたものだ。

 そういう訳で今回はその時代の記憶の糸をほどきながら、紹介したいのだがなにぶん半世紀以上の前のことなので、思い違いがあるかもしれないのでご容赦願いたい。

 

 

テレビとヒーロー

 昭和30年前後は3種の神器(テレビ、洗濯機、冷蔵庫)が出始めで各家庭の憧れの対象だった。 

 特にテレビは今のように24時間の放映ではなく、確か午後の3時ごろになると放映されない時間があり、夕方にまた観られるようになったと記憶している。

 そして夜の12時になると君が代と国旗の画面になり、その後にテストパターン(試験電波放送)が流れやがてザーザーという音だけで何も映らなくなる。

 このテストパターンは夕方の放映されない時間帯や朝のテレビ放映開始の前にも流れたものだ。

 当時のテレビはもちろん画面は白黒だが、放映されるのはアメリカの映画、特に西部劇が多く「胸に輝く銀の星」「ララミー牧場」「バットマスターソン」「ライフルマン」「名犬リンチンチン」等々今でも主題歌を覚えている番組もある。

 日本の番組では「月光仮面」「七色仮面」「隠密剣士」「白馬童子」「怪傑ハリマオ」「少年ジェット」「まぼろし探偵」数え上げたらきりがないほどのヒーローが登場し、遊びの扮装をするにはかかさなかった。

 ただ私の最大のヒーローとしては、映画になるがなんといっても「スーパージャイアンツ」であった。

このヒーローは元祖日本のヒーローではないかと私は思うのだが、故宇津井健がマントにタイツ姿でスーパーマンのように異星から日本に来て宇宙怪人や悪漢と戦う特撮物で、自分もいつかは空を飛べるのではないかと夢想するほどのファンであった。

 ただタイツの股間が気になり、自分がヒーローになってもタイツだけは穿くまいと思ったものだ。

 

職住一体

 当時は私が住んでいた家と父がやっていた工場(こうば)は同じ敷地にあり、職住接近というより職住一体で、食事の時でも作業で使う薬品の臭いと食べ物の臭いが茶の間に渾然一体と立ち込めていた。

 しかしもの心が付いた時からのため、気にしたこともほとんどなかった。工場兼自宅の前の道路は今よりも賑やかに人が行き来していた。

 時々、お百姓さんが牛や馬の荷車に肥料にするための人糞の桶や、各家庭からそれを分けてもらうお礼としての野菜などを積んでガラガラとひっぱっていた。

 今考えるとそれなりの循環社会であったような気がするが、一度その熟成肥料の入っている桶を道路に落としてしまい、あたり一面阿鼻叫喚の血の池地獄のようになり町内で大騒ぎになったことがあった。

 また牛や馬は平気で糞を道路に置いていくので、雪の日などは転んだ時に牛の土産が自分のズボンの尻にべったりと付いてしまい、母親に顔をしかめられたりした。

 ただ、昔は糞の上に乗っかると身長が伸びるという噂もあり、小柄な私は少しだけ期待をしたものだ。

 

 家や近所などには、ニワトリやチャボ、ハトや十姉妹やカナリヤの鳥を飼っている家も珍しくなかった。

放し飼いの犬や猫、庭や水槽に金魚やフナやコイなどの魚、道路には馬や牛が闊歩しており、そういう生き物を見ない日はなかったので、人々は生き物に対して今よりも随分と寛容であったような気がしてならない。

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