第31回 「君の名は」と「君の名は。」 〜実写とアニメ〜

第31回 「君の名は」と「君の名は。」 〜実写とアニメ〜

アニメで空前の大ヒットしている「君の名は。」を先日映画館にて観てきました。

この映画は物語性や展開も面白く、アニメながらその背景や描写はあまりにも美しく感動を覚えたほどです。

 

今回のアニメ「君の名は。」は〇が付いただけで、全く昔の「君の名は」とは違っていましたが、我々世代は「君の名は」というと別の恋愛物語を真っ先に思い出すのではないでしょうか。

 

菊田一夫原作の「君の名は」はヒロイン「真知子」とその相手方の「春樹」が、太平洋戦争を挟んで一目惚れとすれ違いの波乱万丈の物語です。1952年から始まったラジオドラマは「銭湯の女湯から人が消える」といわれたほどの伝説のラジオ番組だったのです。「忘却とは忘れ去ることなり。忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ。」という切なげな冒頭のナレーションは、その後の映画やテレビドラマにでも使われ、私は意味も分からず当時に頭に刷り込まれたようで、今でも空でいえるほどなのです。

 

その「君の名は」は、ラジオやテレビそして映画と何度も作られ、世間の話題をさらった物語でした。ラジオに続いて1953年からヒロイン岸恵子主演により上映された3部作の映画は、なんと3000万人も動員されたそうです。そして、当時の封切り映画館(*参考1)は、ほとんどが100円という入場料金でした。12月半ばでアニメ「君の名は。」は観客動員数1500万人を超えたのでいい勝負かもしれません。

 

その後にテレビドラマで民放とNHKで何度も放映されましたが、1991年のNHK連続テレビ小説で、学校の後輩の(本人はもちろん私のことは知りません)仙台出身鈴木京香が主演し、1年間放送され30%の視聴率だったそうです。

 

アニメ「君の名は。」を見に行ったのは休日でしたが、館内は以外にもおじさんおばさんが3割ほど入っていて、バケツのような紙の器にポップコーンと飲み物を持ってほぼ席が埋まっていました。もしかすると昔の「君の名は」と同じようなストーリーと思ってきたのかもと思ってしまいました。このアニメ映画は老いも若きも総動員したことは、日本にとってもいいことで違う世代との共通の話しのきっかけになるのかもしれません。中国でも公開されていますが、やはり12月の半ばで、興行収入が5億3千万元(約90億円)を突破したとのことです。このアニメにより中国人に日本をもっと良い目で見てもらうことが、少しでも多くなればいいのではと考えたりもしました。

 

私は映画館で映画を見るのが好きで、おととしは25回、昨年は31回そして今年は20回劇場に足を運んで、直近観た映画が「君の名は。」でした。

 

このアニメを観た時に過去に観た映画を何本か思い出しましたので、それについてお話していきます。

 

まず最初は「オーロラの彼方へ」というアメリカ映画、タイムパラドックスをテーマとした消防士の父子の物語です。オーロラが美しく夜空に輝いたある日に、今は亡くなっている過去の若き父親とハム無線で偶然につながったことが物語の発端です。ミステリー仕立てではありますが、見終わった後に心地よい満足感を覚える秀作です。この映画は自分の息子ともっと良い関係になりたいと思う父親には是非見てほしい映画でもあります。

 

次に頭に浮かんだのが「イルマーレ」という韓国がオリジナルの映画で、ハリウット版がそれを凌駕したといわれるキアヌリーブスとサンドラブロック主演の映画です。時空をつなぐ不思議な郵便箱で文通を始めた男女、そのやり取りはなかなかに胸にせまる絶妙なストーリーでした。

 

そして「君の名は。」の予告編でも見ることができましたが、隕石にまつわるストーリーということで「アルマゲドン」を思い浮かべました。主人公のブルースウィリスの自己犠牲による大活躍でSFパニック映画ながら、涙した人もあったのではないでしょうか。又1960年代、日本特撮映画が全盛のころに作られた「妖星ゴラス」という世界初の隕石映画もその奇想天外なストーリーも特筆されます。

 

そして最後は、やはり元祖すれ違いラブロマンスドラマ「君の名は」をあげたいと思います。真知子と春樹の絶妙な幾度ものすれ違いに、観客は心躍らせそして胸を痛めたのは想像できます。この二つの同名映画を日本の人口の半分近くの人が見たというのは、本当に不思議な巡り合わせではないでしょうか。

 

アニメ「君の名は。」をもっと興味深く面白く観るためにも、これらの映画をお正月にでもご覧になることをお勧めします。

 

(*参考)封切り映画館 

昔は作られて最初に上映される映画を封切りといって一番映画館で見ることができた。その上映期間が終わり次に上映されるのが二番映画館で、少し場末にあり入場料も半額程度であった。ちなみに一番映画館は二本立て、二番映画館はほとんどが三本立てでした。