第20回 少し長い私のプロフィール その1 〜米国進駐軍がいた頃・幼なじみが北朝鮮へ〜

 ブログを書き始めて半年がたち今回で20回目になりますが、始めるにあたり自己紹介をしませんでしたので、少し長いですが私のプロフィールをご紹介しますのでよろしかったらご覧になってください。今回は「3丁目の夕日」の時代である昭和30年代前後から昭和40年代がメインとなっております。

 

昭和24年~昭和32年 米国進駐軍がいた頃

 

 私が生まれたのは仙台市内で昭和24年12月下旬ごろ、戸籍上は翌年昭和25年1月となっていますが、4人兄弟の末っ子の私だけ「年末で忙しかったから、正確な生年月日は忘れてしまった」と亡くなった母に言われたもので「ごろ」なのです。

 

 昔は今と違って産婦人科の病院ではなく近所の産婆さんにお世話になったので、記録もなにも残っていないようでした。

 

 父は宮城県北の農業兼左官業の家の11人兄弟の次男でしたが、戦後に満州から帰還し小さな工場を市内で立ち上げました。家と工場は同じ敷地内にあり、両親は大変に忙しく、その為に5歳の時に近所の保育園に預けられました。

 

 その時の一番の思い出が、預けられていたカトリック系の保育園に12月のクリスマスのころ、大きな体をしたサンタクロースが来たのです。そして白い袋の中からおもちゃを取り出し保育園の子供たち一人ひとりにプレゼントをしたのですが、私は赤いブリキでできた乗用車をもらい大喜びをしたことでした。もちろん、その時は単純にプレゼントをもらったのがうれしくて、「進駐軍」ともアメリカの軍人とも知ったのはずうっと後のことでした。

 

 保育園時代は、「キャンプ仙台」にいる進駐軍でカーキ色の帽子をかぶった軍人がジープに乗り家の工場に来たのを覚えています。あとで聞いた話ではアクセサリーの錆びたものを再生できないかと持ってきたらしく、私は兄と二人で「ギブミー、チョッコレート、ガム! ガム!」などといって少し分けてもらったりしました。この進駐軍も昭和32年には撤収したとのことです。

 

昭和32年~昭和48年 幼なじみが北朝鮮へ、学園紛争、ソビエトから海外へ

 

 小学校に上がって確か5年生くらいの頃に近所の1つ下の遊び仲間に朝鮮人がいて、この子の家は焼肉屋だったのでついたあだ名は「ホルモンちゃん」でした。

 

 その子がある日私に「今度国に帰ることになったので、もう遊べなくなる。」と少しさみしそうに言って、まもなく一家で海を渡り引っ越しをしていなくなってしまいました。これも後でわかったことですが「在日朝鮮人帰還事業」によって北朝鮮に移住していったようでしたが、今はどのように生活しているのか、現在の北朝鮮のことをマスコミで見聞きすると少し胸が痛むことがあります。

 

 小中高大は地元の学校に通いました。高校がバンカラだったので、大学1年入学時は高校と同じに下駄で学校に行ったら、コンクリートの校舎にカランカランと音が響き慌てて次の日から靴に履き替えたものでした。当時の世相どおり私の大学も4年生の頃には学園紛争のど真ん中で、卒業時は校舎がバリケード封鎖され卒業時の試験はなく、レポート提出のみでありました。

 

 私はその影響か、就職は学校には頼らないという変な自尊心をもってしまい、自分で探した関東にある機械商社に昭和47年に入社し、2年間ではありますが連日新規取引先の開拓に汗を流しました。

 

 実は、その会社に入る前から海外を旅することを計画していたので、ある程度資金が貯まった時期に退職をしたのです。もちろん会社には相応の働きをしたつもりではありますが、好きな会社と上司だったので後ろ髪を引かれる思いをしました。あとで風の噂で聞いたところによると、その会社は数年後に倒産したとのことでした。

 

 仙台には一旦帰り3ヶ月ほど旅の準備をし、昭和48年7月に新潟から「冷戦」の時代ではありますが、リュックを担いで当時ソビエト連邦のナホトカ港へ船にて渡り、ハバロフスクへはシベリア鉄道そして空路モスクワを乗り継ぎ、オーストリアのウィーン迄の片道切符で一週間かけてたどり着きました。

 

 そこから当時は鉄のカーテンと言われたチェコスロバキアなど東欧諸国に入り、2か月を経たのちに西欧諸国とアフリカのモロッコなどを廻り、5ヶ月目の旅の途中に家にコレクトコール(受信人払い)で電話をしたところ、とんでもないことが起きていたのでした。

その為に、予定より1年ほど早く帰国することにしましたが、それについては次回にお話ししようと思います。

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