第218回 昭和回想録その23 〜冬の想ひで〜

第218回 昭和回想録その23 〜冬の想ひで〜

童謡や唱歌には四季折々の季節感がある歌があり、時々ハーモニカでそれらの曲を吹いていると昭和の小学生時代の想い出がよみがえるが、それと同時に「今はこの歌とはだいぶ違う時代になってしまったなあ・・」と思うことがある。

 

「雪」という童謡の歌詞には「♪犬はよろこび庭かけまわり、猫はこたつで丸くなる♪」とあるが、今では愛犬の室内飼いが多いので「♪犬は雪みてソファに戻り、猫はこたつで丸くなる♪」と変えたほうが良いのかもしれない。

しかし、今でも我が家の愛犬は外飼いに近いので雪が降った日に河原に連れていくと、喜んでグルグルと駆け回っているのに、人間と同じで犬もあまりにもぬくぬくした日常にいると少し厳しい環境には耐えられなくなってしまうのではないだろうか。

 

「たき火」の歌詞には「たき火だ たき火だ 落ち葉たき」とあり、昭和の時代は晩秋から冬になると、近所の庭先や門前で落ち葉やゴミなどを燃やしている様子は当たり前に見かけることができた。

それが今では、たき火をすると近所の人に注意されてしまうどころか、下手すると消防署に通報されてしまうかもしれないのだから、とても焼き芋などは無理な時代になってしまった。

昭和30年前後は、マッチが必需品でどこの家にもトラ印や桃印の大型の徳用箱が置いてあり、家事には絶対に欠かせないものだった。

この徳用箱は冬には大活躍で、たき火はもちろんだが練炭炬燵や火鉢や豆炭あんかなどを使う時の必需品であった。

練炭は使い切った翌日の朝には、庭や道路に形の残った灰色の燃えがらを捨てるのだが、それを上から落とすとパッカーンと音がして粉々になるのが好きで、少し早起きした朝には母に頼んでその「仕事」をやらせてもらったこともあった。

 

昭和の冬は今よりも気温が低いことと家の気密性があまりなかったこと、それに暖房機器が電化されておらず、小学生の頃には暖房のメインは練炭を入れた掘りこたつや、手を温めたり湯を沸かす火鉢も欠かせなかった。

真冬にはあまりの足の冷たさに靴下をはいて寝ることもあったが、湯たんぽは親専用なので風邪にでもひかなければ使った記憶がない。

冬も本格的になると家の中はひどく寒く、翌朝には窓の内側が凍り付き、台所に貯めておいたバケツの容器や、時には風呂まで薄氷が張っていたこともあった。

朝に目が覚めると顔が冷たくこわばっていて吐く息も白く、子供の私はゴキブリホイホイに絡めとられたゴキブリのように布団にへばり付いてしまい出るのが難しく、何度も母に叩き起こされた。

石油ストーブが我が家に登場したのは、私が高校受験を控えた中学生の頃で大変にうれしかった思い出がある。

しかし、あまり使い慣れていなかったせいか、朝勉した後に消すのを忘れて学校から帰ったらストーブの芯だけが燃えていて、部屋中が煤だらけになっていたことがあり、ひどく叱られたこともあった。

当時は今では考えられない頻度でボヤ騒ぎや火事が近所で発生し、何度か火事見物の野次馬になったこともあるが、やはり昭和40年前後から石油ストーブが普及したせいもあったのかもしれない。

しかし、練炭炬燵の時代には火事は多くなかったが、一酸化炭素中毒で亡くなったというニュースがよく流れていたので、その功罪を比較すると難しい。

 

冬の家での遊びは、みかんの汁で白い紙に字や絵を描き、それを常温で乾かしてから火鉢の上にかざすと浮き出でてくる「あぶり出しの紙」を作ることや、みかんの皮を火鉢の炭に絞ってパチパチと線香花火のようにすることもよくやったものだ。

また、紙を蚊取り線香のように切り取り、糸に吊るしてグルグル回る蛇を作ったりして遊ぶことなども楽しかった。

少し薄暗い白熱灯の居間の炬燵で、母の作った綿入れのちゃんちゃんこを着ながらそんな遊びをしていると、厳しい冬の寒さもあまり苦にならなかったような気がする。