第202回 昭和回想録その21 〜子供のお手伝いはSDGs?〜

第202回 昭和回想録その21 〜子供のお手伝いはSDGs?〜

SDGs エス・ディー・ジーズという言葉をどこかで聞いたことがある人は多いと思う。

正確にはSustainable Development Goalsといって、日本語に直すと「持続可能な開発目標」という。

わかりやすくは「世界中にある環境問題・差別・貧困・人権問題を、世界のみんなで2030年までに解決していこう」という計画・目標のことだそうである。

 

昭和の時代を振り返ってみると、その時に当たり前にやっていたことの多くがSDGsであり、昭和30年前後の子供の「お手伝い」はSDGs17の目標のどれかには入っているのではないかと思っている。

 

家の諸々お手伝い

冬になるとこたつの中に練炭を入れて暖をとるが、燃え尽きてそのまま形になっている塊を滑り止めの為に、雪で凍っている道路にパッカーンと落とすのも楽しみであった。

家から出たごみは燃えるものは、プラスチックだろうがセルロイドだろうが一斗缶で燃やしていたが、親には「火の番をしていなさい。」と水の入ったバケツと一緒に燃え尽きるまで見張りを言いつけられた。

トイレットペーパーは灰色の固い専用の紙を使っていたが、新聞紙か雑誌を切ったものを使うことも珍しくなかった。ポッチャン便所のウンチは定期的に農家が取りに来て、お礼として野菜を置いていくが牛も道路にフンを置き土産にしていくこともあった。

魚や肉や野菜の余ゴミはみそ汁をかけてご飯と一緒に飼い犬にやるか、それでも余ったものは庭の肥料にした。

シジミの味噌汁を食べた後の貝がらは卵の殻が固くなるからと、金づちで細かく砕いて鳥のエサに混ぜて食べさせるのもお役目であった。

 

朝のお手伝い

起きると寝ぼけ眼で最初に掃除するのが毎朝の日課で、玄関の中を小ぼうきで掃き門までの通路と数段の階段までをたどった後は、家の前の道路を掃いて行くことだった。

たまに通りかかった近所のおばさんに「朝から掃除していい子だねえ。」などと言われると、親に言われて仕方なくやっていることなど微塵もそぶりを見せずに、つい調子に乗って張り切ってしまうのである。

一番家の手伝いをしていたのが小学生の頃だったが、中学生になるとクラブ活動や試験勉強などの「所用」にかこつけてあまりやらなくなってしまった。

 

年末のお手伝い

昔は今と違って季節感があり、特に家庭にはエアコンなどがなかったので夏は暑く冬は寒いのが当たり前で、年末が近くなると大掃除に費やす時間や手間が多くかかった。

畳の裏には湿気防止のために新聞紙を敷いていたので、毎年ではないがそれを取り換える作業もありその時の掃除を小さい子供でも手伝った。

綿ゴミやほこりが多いので手拭いで口を覆うのが当たり前だったのは、当時のガーゼのマスクは安くなかったせいなのかもしれない。

障子の張替えもやる時があり、普段の時にやれば叱られる障子紙をバリバリと壊すのが楽しみだった。

ただしその後、桟にへばり付いている残った紙をとるのが面倒くさくていい加減にしたのを憶えている。

窓ふきには今のようなクイックルワイパーなどはもちろんなかったので、散々着古した下着を破った布切れで汚れを落とすのに使った。

これは普段でもやることだが、畳の部屋の掃除には水に濡らした古新聞紙を絞ってから適当にちぎり、畳の上に散らばしてほうきで掃くと汚れが拭き取ったようになるので、喜んで散らかす手伝いをした。

 

母のお手伝い

夕食にはよく山芋をおろした「とろろ芋」がでたが、その時にすり鉢を押さえてくれと母に言われて手伝ったことが何度もあった。

6人家族だったので1本丸ごとおろすのに少し時間もかかり、すり鉢も大きいので両手でふちを力いっぱい押さえて母が山芋の端っこまでおろすが、その後に汁がついた手を顔に付けてしまい痒くなったこともあった。

母はその後におろした山芋にみそ汁を入れて食卓に出していたので、それをご飯にかけるとご飯の中にサアッとしみ込んでしまいジャブジャブのとろろ汁になったが、それでもあまりにもうまくて何杯もお替りした。

長い間とろろ芋には必ずみそ汁を入れるものだと思っていたのだが、高校生の頃にどこかの食堂でとろろご飯を食べて、我が家の作り方は量を増やすためということにその時初めて気がついたのだった。

昭和時代には着古したセーターの毛糸をほどいて、もう一度編みなおしてサイズやデザインを別物にして子供に着せることが一般的だった。

母から頼まれるのは、ほどいてラーメンの麺のように束ねた毛糸を両手にひっかけて、そこから再度編みやすくするために丸い球状にする手伝いで、自分の左右の手を曲げたり伸ばしたりすることであった。

母と向き合ってお互いに手首を動かしながら、少し長いもて余すような時間の中で普段あまりしない友だちや学校の話などをしたのを思いだすと、なぜか「♪かあさんは夜なべをして手袋編んでくれた~ ♫」の歌が頭に浮かぶのである。