第192回 丑年(うし年)徒然考 〜牛歩のごとく〜

第192回 丑年(うし年)徒然考 〜牛歩のごとく〜

「謹賀新年」というとおめでたい4文字で「謹んで新年のお祝いを申し上げます」という意味ですが、心の中では「(新型コロナ)菌が死ね!」とつぶやいている私です。

正確にいうと新型コロナは菌ではなくて、ウイルスなのですが・・

改めまして、新年明けましておめでとうございます。

今年こそ3密やマスク、検温、消毒、アクリル遮蔽版のない世の中に戻って欲しいと願っております。

 

今年は丑年、例年のブログで年頭にその年の干支の動物についての徒然に取り上げていますので、今回は「牛」についてお話しをいたします。

 

べご

牛のことを東北地方では「べこ」といいますが実際に会話をする時の正しい発音は「べご」なのです。

「べこ」というとなんとなく取り澄ましたような言い方で「べご」の方が庶民的な感じがします。

牛は標準語ではモーと鳴きますが、東北の牛はベーと鳴くので「べこ」になったそうです。

ちなみにオランダでも牛はベーと鳴くそうで、もしかすると東北弁はオランダ語に近いのかもしれません。

そういえば、小さい時に農家をやっている母の実家に行った時に、牛が引っ張る車の荷台に乗りましたが「ベえ~」と鳴いたような、鳴かなかったような・・

 

牛丼と豚丼

牛丼屋に行くたびに思うのですが、豚丼は「ぶたどん」とよぶのに「とん丼」とは言わない、さらに鳥丼は「とりどん」なのに「ちょうどん」とは言わない。

それなのに、牛丼はなぜ「ぎゅうどん」とよんで「うしどん」と言わないのか、なぜ牛丼だけ訓読みではなくて音読みなのか訳が分からないのです。

そもそも音読みは中国式で訓読みは日本式なので、牛丼は中国発なのかというとそうでもないらしいのです。

いつか吉野家の社長に聞いてみるかどうか悩んでおります。

 

牛は神様の使い

40年位前にインドへの旅で訪れた時に、ヒンズー教では牛は神様の乗り物なので神聖であり決して食用にしたり虐待したりしてはいけない、ということを現地のガイドから何度も聞かされました。

首都デリーにあるオールドデリーのマーケット付近でのこと、土埃が舞う路上の両側には敷物を引いた上に調理した食べ物を並べている店が幾つもありました。

鍋には煮炊きした料理やてんこ盛りした食べ物がふたや覆いもせずに売っていました。

ふと見ると道路脇の空き地には、やせて骨に皮が張り付いたような牛が何頭もたたずんで所在なげにしているのです。

牛たちの足元には乾燥したフンが散らばっており、それが風に巻き上げられ食べ物屋が密集している場所にも狙い定めたように飛んでいきました。

私が「ここでなにか食べたら完全にアウトだなあ。」と思いながら牛たちを見ていたらガイドが言いました。

「インドでは牝牛は乳を出すので大事にされるが、あまり働かない牡は捨てられることはよくあります。牛は神聖なので殺すわけに行かないので、飼い主のいない牛はノラ牛になってエサもあまりもらえないので痩せているのです。」

神聖な生き物がゆえにある意味で悲惨な人生、いや牛生を送っているのかとすこし複雑な思いをしてしまいました。

日本でも神社には、座っている牛「臥牛(がぎゅう)」の像が多く見かけられ、撫でるとその部位が良くなるということで神聖視されています。

もともとは天神さまとして祀られている菅原道真公が牛に乗っていたことからそのように伝えられたようです。

このように日本も含めアジアのいくつかの国では、牛が神様に近い動物とし考えられているようです。

 

牛虎のハーフ

新年を迎えると「干支は何ですか?」と訊かれることがたまにありますが、とりあえずは「トラの干支です。」と答えます。

実は私は戸籍上では寅年の1月2日なのですが、お産婆さんにとりあげられたのは前年の12月下旬らしいのです。

今はもう亡くなった母には「お前が生まれた時は年末で忙しかったので正確な日は忘れてしまった、ただ1月でないのは確かだね。」と訳の分からないことを何度も言われました。

そういう訳で今年の丑が私の干支なのですが、都合に合わせて牛の時もあるし寅になったりもしますので、内心私は牛と虎のハーフなのだと自覚しているのです。

 

牛歩のごとく

「牛歩のごとく」毎日毎月毎年と一歩一歩着実に進むことは本当に大切ではないでしょうか。この言葉は故松下幸之助氏も好きな言葉として残しています。

大層な例ではないですが、私は昨年1日8千歩以上の目標を立て毎日の歩数を記録し、年間で298万歩にすることができました。

距離にすると1780kmになり、7年間続ければ地球の直径の長さ12800 km位になるのでそれを目標に続けることにしました。

物事を進めるにはスピードはもちろん大切ですが、「少し」でも「ゆっくり」でも着実に進んでいき、「堅実に」「着実に」目標に向かっていくことが大事なのではないかと改めて実感しました。