第163回 逆もまた真なり? 〜先入観念と思い込み〜

第163回 逆もまた真なり? 〜先入観念と思い込み〜

 数字を1から順番に10まで口に出してみると、「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう」とほとんどの人が言うはずです。

 ところが、それを逆に10から1までもう一度口に出して言ってみて下さい。

「じゅう、きゅう、はち・・・・・・・・さん、に、いち」

 

 たぶん大半の人が、「じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち」と言ってしまい、ここで4は「し」から「よん」になり、7は「しち」から「なな」と発音します。

 私たちの身近にはこのように当たり前に考えていることが、反対にしてみると違ったことになっているのに気付くことがあります。

 

 「逆もまた真なり」とか「逆もまた然り」という格言?はよく聞いたことがあり、そういうことは世の中にたくさんありそうですが、実際はそんなにはないようです。

 

 「会社の赤字は景気のせい」とか「品質が悪いのは社員のせい」とか「儲からないのは社員が働かないからだ」と言う経営者が今はほとんどいないと思いますが、以前はそういう言葉を耳にすることがありました。

 「世の中の景気が悪いから会社が赤字になる」となると、ほとんどの会社は利益が出ないという理屈になりますが、実際はそんなことはなく不景気でも利益を出している会社は多数存在します。

 さらに「社員が良くないから品質が悪い」、「社員が働かないから儲からない」ということになったら、社員には「品質が悪い、利益が出ないのは社長のせいだ」と逆襲されかねません。

 やはり社長や経営者は、売上や利益や品質が悪いのは自分のせい、良いのは社員のせいという広い度量を持つことも必要でしょう。

 

「逆は必ずしも真ならず」という例は数限りなくあります。

「犬が西向きゃ尾は東」ということわざがありますが、犬の種類によって尾が巻いているのも珍しくないので「犬が西向きゃ尾も西」ということもあるはずです。

 

「中国のトイレは汚い」からといって「トイレを汚くするのは中国人だ」ということではないでしょう。日本に中国人の旅行客がリピートで来るのは「トイレが清潔」ということもその動機の一つということも聞いています。

 私の知人で30年位前に日本に帰化した中国人の夫婦がいます。奥さんが「日本のトイレを使っていると、中国には戻りたくなくなった」ということも帰化した理由の一つと話していました。

 

 知人に「庭師から弁護士になった」という方がいます。

「弁護士から庭師になった」というのであれば趣味が高じてあり得るような気がしますが、その逆は「ありえへん世界」と思いましたがいかがでしょうか?

 その知人は大学を卒業した後に庭師になり、長い通勤時間を利用して勉強し、更に仕事の合間は全部司法試験の勉強に費やし、数年がかりで弁護士の資格を取ったそうです。

 今では人権派弁護士として八面六臂で大活躍しています。

 

 先入観念や思い込みということも判断を危うくさせます。ここである文を紹介しますので、何のことか考えてみて下さい。答えは最後に書いておきました。

「To be to be ten made to be.」

 

 先日に参加した講演会で興味ある話しがありました。人は舌で味わうだけではなく目でも判断するというものです。

 マグロを食べる実験で、被試験者はバーチャルリアリティー用のゴーグルをつけ、3種類の刺身を食べます。最初はマグロそのままの色の赤、二番目は青色、そして三番目は白色のまぐろを食べ、どれが一番おいしいかまずいのかを判断してもらいます。

 するとやはり赤が一番うまく、青色と白色はまずいという結果になったそうで、複数人に試しても同じ結果になったそうです。

 実際は全部同じマグロですが、ゴーグルを通して見ると色が変わって見えるようにしたのです。

 同じような実験をテレビで見たことがありました。サーモンやアボガドをマグロや大トロの映像を見せながら食べさせたところ、同じような結果になったそうです。やはり「目で味わう」ということは真実なのですね。

 

 先入観念や思い込みを少しでも減らすには、固定観念を払拭し五感を駆使していろいろな経験を積むことが大事なのではないでしょうか。

 

「やったことがないから・・」と言って新しいことに尻込みし、「食べたことがないから・・」と見た目だけで食べなかったり、「興味がないから・・」と自分の好きな事以外に目を向けなかったりする人がいます。

 今は特に若い人にそういう傾向が増えているような気がして残念でたまりません・・・

 

 

「To be to be ten made to be」とは?

 

「存在することとは十あるということだ」などと考えた人もいるかもしれませんが、グーグル翻訳では「十歳であるために」と訳されました。

 実際には、この文章は思い込みを諭す為に考えられたものなのです。

 

正解 「飛べ、飛べ、天まで飛べ」