第147回 昭和回想録その14 〜カメラと撮影会〜

第147回 昭和回想録その14 〜カメラと撮影会〜

 カメラを撮ることは今でも好きだが、最近は旅に出てもデジタルカメラやスマホで済ませてしまうことが多く、フィルム式のカメラ(以後カメラ)で旅に出たのはいつ頃だったのか思いだすのが難しい。

 

 初めて手にしたカメラは小学生の時におもちゃのようなミニカメラ、それでも宝物のように大事に使っていた。中学高校時代には写真部に在籍していたせいもあり、お年玉や小遣いを貯めてカメラを買い、人物や動物、風景などいろいろな被写体を求めて街を歩いた。そして白黒写真であれば自分でフィルムの現像から印画紙までのDPEを中学校の頃には全部やれるようになった。

 

 ある日、20歳位の学生の頃に自宅に郵便物が届いた。記憶は定かでないが「仙台写真協会賞」らしきタイトルのついた表彰の案内であった。後にも先にも写真を応募して賞をいただいたのはこれ一つであるが、まさか入賞するとは思わずに気軽に応募し忘れていた頃にこの知らせが舞い込み、ことさらにたまげてしまった。

 その写真はカメラや写真のメーカー、そして仙台市内の写真店などが主催協賛した催しで、私にとって初めての裸の女性を被写体としたヌード写真撮影会でのものであった。

 既に写真クラブは卒業し純然たる趣味だけでカメラをやっていたのだが、知人に誘われ半ば興味本位で参加し、うぶな私はモデルの体をまともに見られず、指先が震え、息遣い荒く、火照る体を静めながらなんとか撮影したその1枚である。

 撮影会は野外で催され、カメラを持った人達は好みのモデルに張り付いたり、何人ものモデルを渡り歩いたりしていたが、中にはハーフサイズのバカチョンカメラ(誰でも撮れるという意味)を使っているマニアもいて、本当に写真を撮りに来たのかと疑いたくなるような輩もいた。

 後日に知人と一緒に応募したのがその写真なのだ。他の人の入賞した写真と比べて体全体ではなく、上半身を顔から背中にかけて撮ったもので、我ながら上品でファンタジックに仕上がった作品だったが、それはわが生涯奇跡の一枚であった。

 

 時代は昭和の半ばに戻るが高校に入りバイトもして買ったのが、キャノンFPというFXの露出計がないタイプの少し安い一眼レフカメラである。望遠や広角レンズを少しずつ揃え、何でも見境なくシャッターを押し将来はカメラマンになりたいなどという夢を胸に抱いた時代でもあった。

 写真部に入っていたので文化祭や展示会などに出展するために、夜景を撮りに仙台市内が一望に見渡せる高さ120メートルの大年寺山に、足元がおぼつかない山道を夜の8時頃三脚を担いで登ったこともあった。

 

 当時はカメラがブームということもあり、写真雑誌が何種類も発刊されていたし、ポートレートの撮影会も頻繁に催されていたのでクラブの仲間とよく撮影しに行った。

 その当時は仙台のようなローカルな街にも、バラエティにとんだ歌手や俳優などが時々撮影会にきてくれた。

 現代であればほとんど来ることがないような女性たちで、私が記憶しているだけでも酒井和歌子、石田あゆみ、大信田礼子、手塚理美、関根恵子等々でその他にも売り出し中の子たちがたくさん来たのである。

 

 私は写真クラブ員だったので学校の暗室は自由に使えるために、撮影会が終わるとその写真をクラスメートに見せ、欲しいタレントの写真を譲ってやった。もちろん有償であり、友人の中にはハート型にして欲しいなどという要望もあったのでオプションで受けて、少し小遣いを稼がせてもらった。

 欲しいという希望が殺到し売れに売れたのが、我々と同じ年齢の酒井和歌子の写真である。彼女は清純派女優ということでデビュー間もなくだった頃に撮影会に参加したが、その後少ししたら大フィバーし銀幕のトップスターになったことはやはりとうなずいてしまった。

 彼女の撮影会の時に参加者は「少し目線を下にして」とか「手の先を見つめて」などとポーズの注文をつけシャッターを切るのだが、私も高校生の分際でどさくさに紛れて「上を見てください」と彼女に言った。するとなんと和歌子さんは素直に上を向いてくれたのだが、あまり良いアングルではなく、シャッター音が全くしない水を打ったような静寂な時になってしまい、私は要求したにもかかわらずつい無関係を装ってシャッターを押すことをためらってしまった。

 和歌子さんはいたたまれず自主的にポーズをとったら、時間が動き出したように再びカシャカシャとカメラを操作する音が聞こえて、思わずホッとしたのが少し胸に痛い経験ではあった。

 

 昭和から平成、そして令和に移りフィルム式カメラを手にすることがなくなった。どのように写っているのか現像するまで判らない一発勝負の撮影と、何枚も撮ってそのうち一枚でも良いものがあればというデジカメやスマホは、被写体に向かう気持ちは全く別物である。

 少し大げさかもしれないが、「昭和」と今の時代とは、こういうすべての向かい合うものに対して真摯な姿勢の違いがあるのかも知れない。