第144回 上海空港徘徊の記 〜危なく行き倒れ〜

第144回 上海空港徘徊の記 〜危なく行き倒れ〜

 中国の上海国際空港内でのこと、大汗をかきながら頭が真っ白になり、虚ろな表情で「ここはどこ?私は誰?」と八甲田山雪中行軍のようにリュックを背負いながら、心細げにさまよっている年配の夫婦がいた。

 その夫婦は成田空港から中国国内ツアー3泊5日の旅での途中で、添乗員や同行した9人のツアー客とも離され、親ライオンが子供のライオンを深い谷に落としたように、だだっ広い異国の地に放たれてしまったのだ。

 

 今年の7月某日、日本から飛行機を上海で乗り継ぎ、中国内の別の都市に行く場合は上海空港で入国の手続きをすることになる。

 

 飛行機が空港に降り立つと、リムジンバスが迎えに来て乗り込むと総面積40平方kmという巨大空港内を20分位走りようやく建物の入り口に到着、国内線の乗り継ぎまで余裕過ぎる4時間の時間があった。

 

 到着すると昨年から始まったという指紋認証登録をしなければならない。これは14歳以上で70歳未満の外国人は必ず必要である。まず10台以上はありそうな指紋認証登録機の前に立ち、パスポートを登録する。その後に10本の指すべてを登録しなければならず、初めに左手親指を除く4指の指紋登録、次に右手親指を除く4指の指紋登録、そして両手親指の指紋登録の流れになる。しかし、なかなかうまく読み取ってくれず、四苦八苦しながら何度も繰り返してようやく完了となると、なぜかレシートが出てくる。

 

 いよいよ入国審査であるが、ここでまたパスポートと入国書類提出と指紋認証そして顔写真撮影が必要であり、時間も相当かかってしまった。

 

 次に中国東方航空でやっている通関検査、航空券を差し出しバーコードリーダーにかけた途端、ビビーッ‼ビビーッ‼との大音響が鳴り出した。係員がきつい目と、してやったりの顔(私の思い込み?)で「バイオレーション!バイオレーション!」と何度も威嚇する。蚤の心臓の私は、その心臓がのどから飛び出すほどに驚愕顛動しうろたえる。

 

 別の係員が来て私の腕をとりどこかに連れて行こうとする、見かねて日本から同行した添乗員が「この夫婦はツアーの観光客なので、必ず然るべき○○の場所に連れてきてほしい」というと、うんうんと気のない返事をしながら、私を早くどこかに引っ張っていこうとする。添乗員の「必ず私が言ったところに戻してくれますから~」という不安な言葉を背に受けながらも我々は「連行」されてしまった。

 

 こっちの角を曲がりそっちのドアを開け係員に散々連れ廻されて着いたのが、殺風景なパーテーションで仕切った場所だった。トランクが数個と点検用のレントゲン機器が置いてある。我々を連れてきた係員は、自分の用事は済んだとばかりトットと帰ってしまう。

 

 男女のこれまた冷たい眼をした制服制帽のセキュリティの2名の係員が、そのレントゲンに移っているトランク内の個所を指さし「これは何だ?」という。しかし、私もわからず「知らない」というと今度はトランクを開けろということになり、トランク内の総点検が開始された。

 ここでようやく何か禁制品を持ち込んだとの疑いがあることがわかった。以前に添乗員から別のツアー客がスルメを入れて咎められたのを聞いていたのと、バッテリーの持ち込みが厳しいということも知っていたので、絶対にそういうものはないというのは確信していたのだがやはり不安になる。

 そんなことはお構いなく、その係員たちは執拗に隅から隅までトランク内を調べている。小一時間が経っただろうか、やはり何も見つからず不貞腐れたような態度で、詫びのひとつもなしで「行け!」とその辺を指さす。

 どこに行けばいいのかと日本語とめで訴えるが埒が明かず、仕方なくトランクに荷物を再度詰めながら検討をつけて歩いて行く。やがて、ほとんど人の気配がない荷物チェックカウンターに辿り着き、そこで再度荷物のチェックインをすることになった。手続きが終わった後にその係員は後ろを指さし、犬でも追い払うようにシッシツと後ろの出口を指さすだけだった。

 

 言われた扉を出たらどこがどこやらわからず、冒頭のようになった次第である。

 

 4時間も時間があったのに国内線の出発まで1時間とちょっとしかない。間に合わなかったらどうしようと、前に映画で観たトムハンクスの「ターミナル」のように空港に長い間暮らすシーンが頭によぎる。

 

 スマホを添乗員の携帯の番号にかけても、事前に渡されていたツアーガイド帳の「何かあった時の電話番号」にかけても繋がらない。そのうちに、困りごとの相談事を受けているらしいきれいな中国人のお姉さんに出会う。「ラッキー」と思ったのだが日本語はダメのようだし、つたない英語で話してもうまく伝わらず時間が過ぎていく。

 しかたなく彼女とのコミュニケーションは諦めて、少し歩いていくとインフォメーションがあった。そこのカウンターの年季が入った3人のクーニャンに「Do you speak English?」と尋ねたら、「見ざる聞かざる言わざる」とそっぽを向かれてしまった。

 

 「万事休す」「絶体絶命」「刀折れ矢尽きる」の思いで、倒れそうになっていたら、なんと近くで日本語が聞こえる。日本人の子連れの若い夫婦がいるではないか、ヘルプミーと助けを乞う。運が良いことに彼らは出発時間が違うが同じ空港に向かうそうで、九死に一生のアドバイスをいただく。

 

 夫婦に言われたとおりに歩いていったら、はるか向こうでヤキモキしていた様子で手を振る添乗員と遭遇したのは、飛行機が離陸する40分前であった。

 

 *上海浦東空港

中国3大空港のひとつで、利用旅客数8000万人、発着回数約32万回、24時間運用。

中国東方航空、上海航空、中国国際航空などのハブ空港であり、国内外48の航空会社が乗入れ、海外73都市、国内62都市と結んでいる世界屈指の空港