第130回 ファーストマン 〜月面着陸から50年〜

第130回 ファーストマン 〜月面着陸から50年〜

 年に1回か2回は感動する映画に出会うことがあります。

先日観た映画「ファーストマン」が、まさしくそんな映画なのでした。

 

 内容は、ちょうど50年前の1969年にアメリカが、月面着陸に成功した時の宇宙飛行士であるニール・アームストロングが主人公の映画です。

 「家族愛」「友情」「悲しみ」「勇気」「決断」「実行力」「謙虚さ」「国家とは」等々がちりばめられており、観ている最中よりも観終わった後、そして映画館を離れて家に帰ってこの映画を思い返した時の方が、深い感動やいろいろなことを考えてしまいました。

 

 映画自体はフィクションなのですが、ドキュメンタリー映画のように展開する場面もあり、この映画を観ながらニール・アームストロングの人生を共に歩んだような気にもさせられました。

 

 物語は、1961年、ニールが、同僚が命を落とすこともあった過酷なテストパイロットをしているシーンから始まります。彼は幼い娘が重い病にかかっていることで、なかなか仕事に集中することができませんでした。妻との献身的な看病にもかかわらず、娘は逝ってしまったのです。そのやるせない気持ちを振り払うように、ニールはNASAのジェミニ計画の宇宙飛行士に応募しました。

 翌年、とんでもない応募者数から選ばれたニールは、家族と共にヒューストンに引っ越し、その後に訓練が開始されました。宇宙飛行士には9人が選ばれたのですが、民間人はその後に親友になるエリオットと彼を入れて二人だけで残りの7人は軍人でした。

 当時の宇宙開発はソ連が一枚も二枚も上手をいっており、アメリカは劣勢に立たされて、ソ連の実績のはるか先を行く月面着陸のアポロ計画をNASAは目指すことになりました。

 過酷な訓練は何年も続き、1996年にはエリオットが命を落とす事故も発生し、ニールもジェミニ8号ドッキング時に事故に遭遇したのですが、危うく一命をとりとめました。

 1967年、アポロ計画最大の悲劇が発生したのです。電源テストを行っていた時に、月へ最初に行く予定だった3人のパイロットがその火災で全員死亡してしまいました。マスコミと世間は、NASAに対して莫大な費用と犠牲者の頻発に容赦のない非難を浴びせることになったのです。

 1969年、それでもアポロ計画はなんとか推し進められ、アポロ11号の船長にはニールが任命されました。家族との別れに複雑な思いを持ちながら、彼は月に旅立つことになりました。

 1969年7月20日20時17分、アポロ11号は遂に月面着陸をやり遂げ、ニール・アームストロングは人類史上初の足跡を月に残したのでした。

 

 この映画は、観る人によりメインテーマが「家族愛」なのか「友情」なのか「宇宙開発」なのか、いろいろと判断が分かれると思いますが、当時の本物と寸分たがわないような宇宙船のコクピットの中や、月面着陸時の壮大なスケールの画像だけでも必見の価値があります。そして、出発から月面到着までの映像のリアリティさは、映画館にいることを忘れてしまうほどで、ニールたちと一緒に宇宙船に乗っているような素晴らしい臨場感がありました。

 

 現代から考えると、今のスマホにも劣るかもしれない当時のコンピュータや、ロケット技術の性能や安全面での過大なリスクを抱えながら月までロケットを飛ばしたことは、まさしく大挑戦であり奇蹟的な成功でした。月面着陸の様子を私は学生時代に、SF好きの私でも信じられないほどのその偉業に、ぽかんとしてテレビを観ていた記憶があります。

 しかし、1972年までに6回、延べ12人を月に送った後は、NASAのアポロ計画は全く途絶えてしまい残念でたまりませんでした。

 

 数々の栄誉を受けたニール・アームストロングでしたが、あまり英雄視されることを好まなかったそうです。月からの帰還後はNASAの仕事や大学で教鞭をとったりしましたが、2012年8月に82歳の生涯の幕を閉じました。

 その時に家族は「もし彼のことを思ってくれるのであれば、今度月をみたとき、彼のことを思い、月にウィンクを投げかけて欲しい。」とニールの謙虚さが偲ばれる声明を述べたそうです。

 いつか、人類がいつでも月に行けるようになったら、彼の足跡は月の第一歩のモニュメントとして永遠に残ることになるのではないでしょうか。