第107回 タイ首長族見聞録

第107回 タイ首長族見聞録

 8月は広島や長崎、そして終戦の月でもあり関連するテレビ番組が目白押しだったこともあって、インターネットテレビで「戦場にかける橋」を初めて観る機会があった。

 

 この映画は、1957年の第30回アカデミー賞の作品で、日本軍が第2次世界大戦時にタイ国のクワイ川に鉄道橋を建設するという設定で、外国人捕虜と日本人大佐が極限の環境での対峙や交流そして戦争の虚しさを表現した内容である。

 

 映画は大変に良かったのだが、それを見て1995年にその映画の舞台になったカンチャナブリの鉄橋や戦争博物館を見学したことを思い出した。特にそれ以上に記憶がよみがえったのは、その映画の舞台となった地からほど近いタイ北部西端のメーホンソーンに住む首長族の村をおとずれたことだった。

 

 タイの首長族というとビルマ(現在のミャンマー)と国境を接する山岳地帯に住んでいる人々で、「ろくろく首」のように常人よりもはるかに長い首をした少数民族としか知識として持っていなかった。

 

 バンコクから700㎞以上の距離にチェンマイがある。メーホンソーンにはさらにそこから山岳地帯を隔て130㎞ほどあり、チェンマイからの飛行機便は1日2便と極端に少ない。帰りの便に乗り遅れると泊まらざるをえなくなるので、注意しなければならない。

 

 私は友人のAと2人でチェンマイからの「メーホンソーン1日観光」というオプショナルツアーを利用した。

 

 ちなみにタイ観光局ではメーホンソーンを現在のHPでは、次のように紹介している。

 

「深い森の中は、乾期には霧が立ちこめて幻想的な風景。チャン族やカレン族、モン族など山岳民族が共に生活し、寺院の建築様式、祭り、食べ物に至るまで、隣国ミャンマーの文化の影響を受けています。太平洋戦争中に旧日本軍が駐屯したという歴史を伝える施設があり、日本人にとってもゆかりのある土地です。」

 

 20数年前、チェンマイからメーホンソーン空港に到着したのは10時ごろ、現地ガイドと運転手の2人が迎えに来ていたが、客は私たち2人だけなので、結局2対2のマンツーマンとなりバスに乗り込む。

 

 静かなたたずまいの市内を40分ほど走ると、茶色に濁った川の船着き場に到着し、ここでボートに乗り換える。船着き場といってもボートがあるからそう呼んだだけで、5人も乗ったら定員になるほど小さく、日本の貸しボートを一回り大きくした程度のものである。もちろん当時はライフジャケットというものもなく、船が沈んでしまったら泥水の中であっという間に土左衛門になってしまいそうな頼りない小舟であった。

 

 この川はパーイ川、ミャンマーに隣接して流れており現地の人々にとっては、洗濯や体を洗ったりする生活に欠かせない重要な川らしい。

 

 川幅も広く流れも急な水上を30分位揺られていくと、目印もなにもない川辺に到着する。ここに首長族の住んでいる「ファインプーケン村」がある。

 

 首長族はミャンマーとタイの国境地帯に散在しているといい、この村のほかにも何か所か同じような集落があるらしい。その部族はカレン族ともカヤン族ともいわれているようで、基本的には山岳民族で人口は3万人位と推測されている。

 

 ボートを降りてしばらく行くと、LONG-NECK VILLAGEの立て札があり村の入り口とわかり、少し行った先の両脇に小屋が並んでいるのが見えた。それらの小屋は少し高床式で村全体は赤茶色の土の上にあり、広いスペースの道路の両側に点々と十数軒建っていた。

 小屋に近づくと早速に遭遇、民族衣装を着て首に10本以上のリングを巻いた「母首長」や「少女首長」がこちらをじっとみていた。思っていた通りの長い首に最初驚いたが、よく見ると顔が小さく体が細いので余計に首が長く見える。顔の長さと首の長さが同じでは?と思えるくらいにも首が長く強烈な印象だった。

  

 彼女らは床やテーブルに飾り物や刺しゅうなどを並べて、所在なげに店番をしている。とくにその土産の売り込みをするわけでもなく、写真を撮ってもポーズをとるわけでもなく、話しかけてもほとんど通じず、人見知りのシャイ首長族であった。

 写真を撮ってもいいかというとわずかに会津の赤べこのように、ウンウンとうなずくだけでチップを請求することもない。

 

 観光客もいるにはいるのだが、ほんの数人の白人を見かけることができる程度であり、まだほとんど観光地化しておらず、かえって落ち着いた風情と秘境感に浸ることができた。

 

 実際は首長族の首は伸びているのではなく、幼少時から増やしていくリングの重さで肩が下がり、極端ななで肩になることにより首が長く見えるようだ。またそれが美人の一つの条件であるとの話しもガイドが言っていた。

「首輪を外すと頭部の重みで、首が折れて死んでしまう」という説もあるが、そういうことはないらしく少し安心した覚えがある。

 また、首にリングをはめるのは、この辺に出没していた虎が首を噛み切っていたので、それを防ぐために着けたのだという説もあるが、少し怪しい話ではある。

 

 現在ではどこの首長族の村でも、観光地化の波が押し寄せ、観光客は多いわ、なんにでもチップは要求するわ、ポン引きまがいの商売をするわ、土産物屋だらけだわ、の秘境感もノスタルジアも感じられない「名所」になってしまったそうだ。

 今では毎月、観光業者から「首長手当」が支払われるとの未確認情報もある。そういうことで、昔に比べると観光客を待つために、以前よりはるかに首が長くなっているかもしれないと勝手に想像してしまう。

 

 ほとんど男は見かけなかったが、村のはずれにぽつんと老人が刃物を並べていた。私は村に来た記念にと、その中にあった鞘がついた刃渡り20cm位のナイフをただひとつの土産として買い求めた。

 

 もったいなかったのは成田入国時にナイフが見つかってしまい、没収されたが係員に拝み倒しなんとか鞘だけを返してもらった。

 しかし、その秘境の記念の品も今はどこに行ったのかわからなくなったのが残念無念である。