第81回 サイパン四分の一日ツアー 〜戦跡地でのエクスペリエンス〜

第81回 サイパン四分の一日ツアー 〜戦跡地でのエクスペリエンス〜

 グアムは仙台から直行便が飛んでいるので何度か行ったことがありましたが、年末に初めてサイパン島に行ってきました。

 

 今回は太平洋戦争の戦跡を見てみようと、あらかじめ現地のツアー会社とラインでやり取りをして、チャーターの車を手配してもらいました。現地に住んでいる日本人女性がドライバー兼ガイドをやってくれたので、効率的に回ることができました。

 サイパンはグアムと比べると都会と田舎くらいの差があり、まだまだ戦争の痕跡が数多く残っており、恥ずかしながらこの年で初めて見聞きすることが多かったのです。

 

 太平洋戦争の時には北マリアナ諸島のサイパンは、民間人を巻き込んだ最初の激戦地だったそうで、日本軍は全滅し民間の日本人も1万人以上が亡くなったそうです。

 最初に回った戦跡は、米軍に追い詰められ民間人がバンザイと叫びながら身を投げたというバンザイクリフでした。切り立った80メートルの絶壁に立つと、雲がわずかに点在しているまさしく抜けるような透き通った青空と、眼下には群青色の染物を一面に敷き詰めたような深い藍色の海が広がっていました。

 その崖の上には絶壁に沿って幾つもの供養塔や慰霊碑が、遺族会や宗教法人などにより建立されていて、戦争当時多い日には何百人も崖を飛び降りた人々で海は血で真っ赤に染まり、あまりの死体の多さにその上に落ちて助かった人もいたそうです。

 この場所で気づいたのは、日本人はほとんど見かけることがなく中国人や韓国人がまるで自国の観光地のようにふるまっていたことでした。韓国人の10人くらいの団体客が大声で「○○ムニダ!」「○○スミダ!」といって写真を撮りまくったり「バンザイ」を大声で叫んだりして、疾風怒濤のように過ぎていき、その勢いに私がよろけて転びそうになったら、ガイドさんが「大丈夫ですか?」と少し顔をしかめながら声をかけてくれたほどでした。

 そこで一番目立つ大きな黒い石碑の「忠魂碑」の裏には、心無い輩がやったと思われますが、ガムをかんではり付けた跡が無数にあり、どうやったらそこに届くのかと思うくらいの高さにもガム痕があり、いやな気持ちになったものです。

 戦争前は3万人近くサイパンにいた日本人も今は1000人にも満たないくらいに減ってしまい、日本の航空会社やホテルなども軒並み撤退して今はほとんど中韓資本がリゾートや不動産を牛耳っているといいます。街中に巨大なモスク風のホテルが建造されていましたが、景観にはまったくマッチしないその金ぴかの建物は中国資本が、自国のリゾート客を期待して造っているのだそうです。

 

 次に行ったのが日本軍最後の陣地があったとされるラストコマンドポスト(最後の司令塔跡)です。ここはサイパン島北部のマッピ山の崖下にある戦跡地で、鉄筋コンクリート製のトーチカが上空から見えないように、土や植物のカモフラージュをした状態で残っていました。その前には朽ち果てた砲台などもあり、その当時の戦況の激しさが砲弾のあとともに見受けられました。

 ここでも、入り口のすぐ目の前に絵や写真のようなものを三畳くらいの大きさに並べ、中国語の大音響のラジカセで商売をしていた中年の中国人らしき女がいて、大変に不愉快な思いをしてしまいました。そしてその砲台のところでは、やはり非日本人がピースサインをして得意そうに写真を撮りあっていたのも目にしましたが、最近では日本人の若者も同様のふるまいをするそうで、もっと歴史を学校は学ばせてほしいとも思ってしまいました。

 ここに建てられている中部戦没者慰霊碑は、遺骨の形をした石碑が台座の上に設置されており、その下には戦没者の遺品が入っていて、近くには灯篭や地蔵も配置されており戦没者を少しでも慰めようとの配慮が感じられました。

 

 次に訪れたのは、あまり観光客が足を延ばさないマッピ山頂のスーサイドクリフ(自殺の崖)でした。ここはバンザイクリフと同様に民間の自殺者が多数出た悲劇の場所です。250メートルある断崖絶壁から鉄の柵越しに眼下を覗くと、あまりの高さに体が縮こまってしまうほどです。

 そこにも大小さまざまの石碑が数多く建っており、お寺の名が入った碑や個人名の入った碑などがそれこそ墓地のように林立していましたが、その中の「サイパン高等女子学校職員生徒殉難之碑」に一輪の花が手向けられていたのが心に残りました。

 ただ、ここでも残念なことを目にしてしまったのですが、それは心無い不謹慎なアジアの外国人にそれらの碑の多くを破壊されていたことです。半分に折れていたものや砕けたようにほとんど字が読めないものも数多くあり、ガイドさんの話によると蹴飛ばしたり石のようなもので壊したりする現場を見たことがあると言っていました。

 

 空が真っ青に透き通ったこの地に少し季節外れという火焔樹の花が、真っ赤に少しだけ咲いていたのが亡くなった人たちを偲ぶ彼岸花のようでもありました。

 

 サイパン島に上陸して四分の一で6時間の短い経験でしたが、また絶対に来てみようと心に誓ったのでした。