第75回 年末に届いた葉書に想う 〜看取り士のこと〜

第75回 年末に届いた葉書に想う 〜看取り士のこと〜

 年末が近づくと、「喪中につき~」という文面のはがきが届くようになります。

その中に、「あんなに元気だったのに・・」というよく知っている方の家族から突然にその知らせが届き、何とも言えない気持ちになってしまいます。

 

 この年齢になりますと、めでたい結婚の披露宴への招待よりも、黒いネクタイをしての参列の方が多くなり、いろいろな方の「死」に立ち会うことになります。

 

 人の「死」に対しては、様々な「ひと」が関わります。それは、医者や僧侶や神父、葬儀屋社員、火葬場職員、石材店などがすぐに頭に浮かびますが、そういう関係の「ひと」以外に世間にあまり知られていない人々がおり、我々もお世話になるかもしれません。

 

 20年位前に「おくりびと」という映画がヒットし、日本アカデミー賞最優秀作品賞やアメリカでアカデミー賞外国語映画賞を受賞し、大変話題になりました。この映画は、主人公の「納棺士」をとおして「死」ということに対してどのように接したらいいのかを考えさせる内容でした。その原作といわれる青木新門氏の「納棺夫日記」という本を私も読んで、映画とはまた違った死生観も教えてもらいました。

 

 この映画により「納棺士」については、だいぶ知られていますので、今回は取りあげませんが、その仕事の内容は要約すると「死者を棺に納めるために必要な作業」ということです。私もこの映画や本を読んでから、親族のその時について意識するようになり、ほとんど会う機会のない方に感謝するようになりました。

 

 また、「死」についての関わりのある仕事の中には「世界で一番悲哀に満ちた仕事」といわれているという孤独死した人の部屋を片付ける「特殊清掃業」や、遺体を修復し長期保存する「エンバーミング(遺体衛生保全)」などがありますが、ここでは詳細を省かせていただきます。

 

 最近「看取り士」という職業?がテレビで紹介されました。「看取り士」とは、余命宣告をうけたあとに、亡くなった方が「良い人生だった」と最期の時まで思ってもらえるように、ケアをするのが仕事だそうです。

 

 昔は、家族や近所の人や親しい人達に見守られながら、自宅で最期の瞬間を迎える人が当たり前だったはずです。そして、その時は見守っている人達に声をかけられ、手を握られ、頭をさすられ、涙を流されて送られていく光景が多かったはずです。独りぼっちで旅立つ人は本当に少なかったはずです。

 

 ところが、現在は病院の医療機器に囲まれたベッドで、それもたった独りで息を引き取る人が多いようです。

 

 そして、もうすぐ我が国では4人に1人が75歳以上という超高齢社会になり、2030年には病院でも施設でも自宅でも死ねない「看取り難民」が47万に達する見込みになるとのことです。

 

 2012年に設立の一般社団法人「日本看取り士会」の会長 柴田久美子さんは、

「看取り士の仕事は、余命告知を受けてから納棺までの在宅での看取りをサポートすること。自分らしく人生の終わりを迎えられるように、本人や家族、医療・介護関係者と相談しながら、その最期のときに寄り添う仕事。」と述べています。

 

 昔はよく「畳の上で死にたい」と人々は言っていました。それは長年住み慣れた家で家族に看取られながら、悔いのない満足した人生を振り返り安らかに逝きたいという願いが「畳の上」という言葉に凝縮されているはずです。そういう願いを叶えてくれる「看取り士」であれば、本人家族とも大変に幸せではないかと思います。

 

 いずれにしても、どんなに偉い人でも金持ちでも平等に訪れる「逝く」ということについて、私たちは少しでも意識することにより、より良い人生を過ごすことができるのではないかと考えてしまいます。