第74回 1000ペソで考えたこと 〜フィリピン紙幣が紙くずに!〜

第74回 1000ペソで考えたこと 〜フィリピン紙幣が紙くずに!〜

 先週は当社のスタッフ2名がそれぞれシンガポールやフィリピンに所用で出張して、私は事務所にいる機会が多かったので、机周りを整理していたらフィリピンの1000ペソ紙幣が出てきて、少し残念な出来事を思い出してしまった。

 

 なぜ残念だったかというと、今年の秋にフィリンピンに久しぶりに行った時のことである。レストランで会計した際にその紙幣を店員に渡したところ、「コノオカネハ、ツカエマセン!」ときっぱりと言われてしまったのだ。

 1000ペソというとフィリピンでは最高額紙幣であり、1ペソを2.2円と換算すると2200円であり、当国のワーカーの給料からすると十分の一、すなわち日本であれば1万円以上の価値となる。

 

 「なぜ使えないのか?」と聞くと私の拙い語学ではよくわからず、何度も押し問答をしたのだが、結局別な模様の1000ペソ紙幣を使うことになった。さらに、別な店で支払い時にその問題の紙幣を紛れ込ませたら、やはり「コレ、ダメデス!」と拒否されてしまった。それでも頑張って何とか使えないかと言ったら「ギンコウニイクネ」とのアドバイスで、交渉が打ち切りとなってしまった。

 

 在比中に、知り合いの日本語ができるフィリピン人に「このお金はなぜ使えないのか?」と尋ねたら、なんとこの紙幣は消費期限が切れていたのである。

 

 後日に調べてみたら、フィリンピン国では1985年以来25年ぶりに2010年において新札が発行されのだという。そして20,50,100,200,500,1000ペソ紙幣の6種類が新たに印刷され、旧札は2016年には銀行のみ新札に交換可能で、2017年からはただの紙切れとなってしまったのだ。

 私は10数年前の工場立ち上げから数多く訪比しているのだが、この1年はご無沙汰しておりその情報は全く分からなかった。ペソ紙幣も本来であれば、先入れ先出しで使っていればそういうことはなかったのだが、まさかその時までに今まで使えていたお金が使えなくなるとは爪の先ほどの想像もしなかった。

 

 日本であれば、今はもう発行しなくなった旧紙幣の聖徳太子や新渡戸稲造、夏目漱石、岩倉具視、伊藤博文そして40以上前に使われていた100円紙幣の板垣退助まで今も通用するのである。

 

 この国フィリピンで新紙幣が発行された理由は、公式には旧貨幣の偽造が多くなり、本物と区別がつかなくなったことや、25年間紙幣の素材が変わっておらず、その素材は菌の繁殖力が高いので抗菌性を高めるために発行したとのことらしい。確かに、フィリンピンで紙幣を数える時は日本のように、ツバをつけてやると腹をこわすあるいは病気になるというので、気をつけていたのだ。そしてフィリピン中央銀行は、貨幣の価値と信用を取り戻すことを目的としてこのような処置をとったのだという。

 

 ただこの処置は移行期間があまりにも短くて、1000万人以上といわれているOFW(Overseas Filipino Workers)海外出稼ぎ労働者たちの虎の子が、ただの紙くずになってしまったお金も尋常ではない額ではと考えてしまう。

 

 さらに2010年6月に大統領に就任したベニグノ・アキノ3世が、自分が就任した記念とかその他の理由で新札を発行したのではということもささやかれている。アキノ氏は6年間で大統領を退任し、今は16代大統領としてロドリゴ・ドゥテルテ氏がその職に就いているが、是非とも庶民の幸せになる政治をしてほしいと思う。

 

 今回セブ島に行った時に、現地の貧困層の子供たちを支援しているNPOの代表の方にスラムを案内していただいた。そこはピアトレスという地域で、1000世帯5000人ほどが暮らしている。ピアが英語で港、トレスはスペイン語で数字の3という意味なので、セブの3番目の港ということになる。ここは他の港と違い、リゾートセブ島のイメージとは全くかけ離れており、日本人は一人では歩けないような雰囲気の港に近い地域である。

 

 少し広い道路の両側には、吹けば飛ぶような木やトタンをただ置いただけのようなバラック小屋が立っており、もうもうと煙を上げて何かの肉を焼いている露店や、痩せた男が古い部品を地べたにただ並べていたりしている。その近くでは、学校に行っているはずの年の子供たちがキャーキャーと遊びまわり、所在無げな男たちが薄汚れたTシャツ短パン姿で何をするでもなく佇んでいる。

 そのメイン?通りから路地に入っていくと、日も差さない長屋のような建物が延々と続いている。通路はすれ違いが少し窮屈なくらいに狭く、歩いている途中には湿気と異臭がいつも立ち込めていた。トイレもどこにあるのかよくわからず、地面はほとんどが濡れているようで、下ばかり注意して歩くと迷ってしまうのではと思うくらいであった。それでも狭くて暗い部屋には、盗電しているらしい電球がともり、そこでテレビを見ている人影があったのには少し驚いた。

 

 スラムの中の狭い通路を歩いていた時に、やせた犬がしっぽを振るわけではなく、猫が逃げたりするわけでもなく、我々を無表情に見ていたのが印象的であった。

 

 この地域の人々はほとんどが教育を受けたことがなく、そのために地域外には出ることがめったにないという。ここの住人は栄養不足や病気などで短い人生を終えるとのことで、1日に30ペソ位で生活している人たちも少なくないという。

 

 私の紙くずになった1000ペソは彼らの1か月分に相当すると考えたら、大変に複雑な思いになってしまった。