第69回 ハンガリーからの手紙 〜東欧で出会った人々〜

第69回 ハンガリーからの手紙 〜東欧で出会った人々〜

先日、自宅に外国郵便が来ていた。

 

 その封筒を見るとハンガリーからの手紙で、開封するとブタペストの絵葉書が入っていた。差出人はB.Miklos とあるがまったく記憶になく、それも当たり前で私が東欧諸国やハンガリーに行ったのは、もう40年以上前になる。

 

 その時は東欧諸国には2ヶ月位の期間滞在し、ロシア(当時はソ連)経由でオーストリアから鉄道でチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキア)に入り、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、ユーゴスラビア(現在は6カ国に分裂)をバスと汽車を乗り継ぎながら一人旅をした。その後は、3ヶ月かけて西欧諸国やモロッコに渡った。

 

 その手紙にはブタペストの絵葉書だけが入っており、その絵葉書の裏には表に写っている建物や橋の説明が手書きで書いてあるのと、差出人の住所が書いてあるだけだった。

 

 当時の記憶をたどろうと思い、旅の途中に書き留めた日記や写真を眺めているうちに、その旅で経験したことや出会った人たちのことがよみがえってきた。

 

 オーストリアのウィーンからや列車に乗り「鉄のカーテン」である東欧圏に初めて入国した街はチェコスロバキアの首都プラハであったが、国境での官憲による厳しい臨検と深夜に駅に到着したせいか、駅構内の薄暗い照明のせいか、経験したことのない無機質な感じを受け、そのうちに自分は秘密警察に捕まってしまうのではないかと根拠のない不安に駆られたものだ。

 

 それでもチェコスロバキアには2週間以上滞在したのだが、ベネショフやブラスチラバなどの地方都市も廻っていたせいで、思ったよりも日数を超過してしまった。

 

 プラハでは、学生寮のようなところに泊まり、そこに長期滞在しているベトナム人のウェンツェンタンという20代半ばの学生と知り合った。当時はベトナム戦争が終結を迎える時期でもあり、同じ共産国同士ということもあり東欧諸国にはベトナムからの学生が数多く留学していた。しかし、今の欧州の移民問題のように白人から見た貧乏なアジアの小国の学生は、仕方なく引き受けたというのが庶民の感情のようで、どちらかというと厄介者扱いされているようであつた。

 

 私も東欧では時々会う人に少ししかめ面されながら「ビィエトナム?チノ?」と聞かれたのだが、そのたびに「ジャポン!」というと「オウ!ジャポネス!」とか「セイコー~」とか相好を崩して笑顔で言われると、微妙な気持ちになってしまった。

 ウェン君もそこは納得しないながらも了解しているようで、私には自分の写真にサインをして「帰国したら国のために頑張るんだ」と手渡し、熱く語っていたことが心に残った。彼は今頃、政府のお偉いさんにでもなっているかもしれないと思うと、他人事ながら少し浮き浮きするのである。

 

 そしてハンガリーの首都ブタペストに入ったのは1974年8月12日、日本を出てから約1か月になろうとしていた。ブタペストの街はそれまでの東欧の街とは違い、明るく西欧的で活力があるように見え、ハンガリーには1週間しかいなかったが、大変に住みやすいような印象を受けた。それは、オーストリアのウィーンから流れてくるドナウ川が街の真ん中を通りながら、西欧の雰囲気がそれと一緒に漂ってくるせいかもしれないと思ったりした。

 

短い滞在であったハンガリーでも現地や日本のいろいろな人々に出会った。

 

 イギリスに3年留学し休暇でハンガリーを旅しているという聡明そうな田中さんという女性や、フィンランドに5年住んでいる坂田さんという男性や彼の友人のハンガリーの新聞社に勤めているかボールというがっしりした体格の男性には、旅のアドバイスや民宿を探すのを手伝ってもらったりした。

 また、街で知り合ったハンガリー人の中年男性には、八百屋で私の旅の主食のピーマンを選んでくれたり熱心に煙草を吸えとすすめられたり、食堂で知り合った別の男性にはわざわざ30分以上も一緒に歩いて日本大使館に連れて行ってもらったこともあった。

 とんでもないソビエトの美人とも知り合ったが、残念ながらオルガという名の彼女はハンガリー人の夫と結婚したばかりで、街を散策している途中に出会った。彼女とは市内の聖シュテハン教会やマルギット島などを一緒に廻り、ルンルン気分になったことをおぼえている。

 その他にレッチエイ氏という官庁の仕事をしている50才位の方で日本には5回もいっており、日英独露語など5か国語を操る方とも出会うことができたし(当時でも数か国語を話す人々は多かった)、Mrs.アグネスという障害者に献身的なドクターにもあって勉強させられた。

 ブタペストの日本の商社の勤めている大室さんという方には、いろいろと東欧の情報をいただきハンガリーには当時日本人は30人しかいないということも知った。

しかし、彼の秘書のジッタさんという色白の人形のような可愛い人と、二人だけで食べたアイスクリームの味の方が印象的だったのはなぜなのだろうか。

 

 このようにハンガリーでは短い期間ではあるが、いろいろな人と出会ったのだがそれでも手紙の主は思い当たることができない。

 

やはり、差出人にWho are you?と手紙を出してみようかどうかと迷っているこの頃である・・・