第59回 昭和回想録その3 〜消費賞味期限・3R〜

第59回 昭和回想録その3 〜消費賞味期限・3R〜

 少し遠いが車で15分くらいのフードマーケットへ行くことがある。青果物や鮮魚店、精肉店、食堂など店舗がたくさん入っている市場のようなところだが、そこの精肉店でちょっとしたお得情報を発見した。

 肉のパッケージに2割引き1割引きと目立つラベルが貼ってあるので、何度か行くうちに消費期限が今日のものは2割引き、明日のものは1割引きになっていることが分かった。

 私は消費期限についてはあまり気にしないので、2割引きの肉を買って3日以内で食べるようにしているが、とくにそれで具合が悪くなったことはない。

 昭和の時代、子どもの頃はそんなことは全く気にせずに、食品にカビが生えていても、少し臭いがしてもあまり気にせず、その部分を取り除いただけで食べたものだ。

 

消費期限と賞味期限

 

 現在は大半の人が消費期限や賞味期限、異物混入などに目を皿にして、あるいは目を吊り上げて食品パッケージに付いているラベルや印字を確認しているが、昭和の真ん中あたりはそういう習慣は全くなかった。

 

 ちなみに消費期限とは「食べても安全な期限を示しており、期限を過ぎたら、食べない方がよい」、賞味期限とは「うまく食べられる期限で、それを過ぎても食べられないということではない」ということらしい。

 

 今の時代はあまりにも衛生観念が過剰に持たれていて、まるで日本中が無菌室にいるような気がしてならない。

 

 私が20代の頃に海外に旅に出て、モロッコのマラケシュの露店食堂で水を催促したら、使用済みのシェルのオイル缶に入れた水を出され、それを飲んだのだが腹をこわすことはなかった。

 そして5ヶ月の旅を通して一度もミネラルウォーターを飲まなかったが、それでも1日だけ腹の調子を悪くしただけだった。

 たぶん当時はバイ菌、雑菌、細菌に囲まれ共存していたので体への耐性が自然と培われていたのかもしれない。今であれば、たちまちにトイレの奴隷になってしまったかもしれない。

 

 子どもの頃はすぐに腹がすくので、コッペパンやもち菓子などを買い食いすることがよくあったが、たまにそれにカビが付いていて黒くなったり白くケバ立ったりするしていても、その部分を削ってかまわずに食べたものだ。

 あまりに変色部分が多い場合は、買った店に行って取り替えてもらうが、そこのおばちゃんもほとんど意に介さず「じゃ、これを食べてな」というだけで代わりにもらったパンにまたカビが付いていたりする。

 

 今であったら回収騒ぎになり新聞に載るわ、ラジオテレビでキャスターがまくしたてるわ、ネットで炎上するわ、不買運動になるわ、で大騒動になる。

 プラスチックや金具が入っていた、虫が入っていた、包帯が入っていた、指が入っていたとあまりにもヒステリックになるのは日本だけでなのではないのだろうか?

 これではコストは高くなり売値も高くなる。もう少し落ち着いて世の中がうまく対応できないものかと思ってしまう。

 

 ただそのおかげでフードバンクや子供食堂への支援で、多くの人々が助かっているから、もしかするとプラスマイナスなのかもしれない。

 

 

 

昭和の3R(Reduce)(Reuse)(Recycle)

 

 父がやっていた金属関係の工場では今のように溶剤がないので、部品の油をとるために薪を燃やした燃え殻の灰汁をタワシに付けて洗い、部品の乾燥には高温の湯にそれをつけたあとに、木屑をまぶして水分をとりエアで吹き飛ばしていた。

 その木屑は隣の風呂屋さんに燃料としてストックしていたものを分けてもらうのだ。

 

 新聞紙や雑誌も水に濡らしてちぎり、掃除のゴミとりとして使用したり、さらにあまり硬くないものはトイレットペーパーにも変身させたりしたが、時々いたしている最中に紙が破けて悲惨なことになってしまったこともあった。

 

 風呂は木製で燃料は木材を割った薪を燃やして沸かし、我が6人家族全員がその風呂を利用する。

 

 同じ風呂には全員入り、3日位は湯を取り換えないでないでまた入る。

 

 そのうち風呂の湯の表面には垢が漂ってくるので、桶ですくいながら湯にはいるのだが、たくさんすくうと汚いというよりも子供心に垢をたんまりと取ったという達成感があったことを覚えている。

 

 当然にシャワーはないので入った風呂のお湯で頭も顔も体も洗うので、朝シャン全盛期の今の時代では考えられないだろう。

 

 今のようにそれぞれの体のパーツ用にシャンプー、リンス、フェイスソープ、ボディーソープなどはもちろんないので、全身を同じ固形せっけんで洗うのだ。

 

 当時もし「お父さんの入った後は絶対にイヤッ」などと娘が言おうものなら風呂には一生はいれないかもしれない。

 

 昔は必ずといっていいほど風呂には、家長である父親から入るのが当たり前だったのだから。