第56回 昭和回想録その2 〜映画鑑賞会・ストーブ当番〜

第56回 昭和回想録その2 〜映画鑑賞会・ストーブ当番〜

 1945年7月10日、72年前の今日の未明に仙台が米軍による空襲にあいました。亡くなった人は仙台に籍があった人1066名で、実際の被害者は3000人近くとの説もあります。

 東京以北では最大の被害だそうですが、それが大きくなったのは米軍の飛行機が最初に市街地を囲む形で円状に焼夷弾を落とし、住民を逃げられないようにしてから円の中に次々と1万発以上の爆弾を落としていったとの話しも聞いたことがありました。

 

 今回の昭和の話しはそれから10年後の小学校の時代の思い出ですが、私たち子どもは、10年前にそんなことがあったとは全く考えたこともなく、当たり前のようにその時期を過ごしていました。

 

 昭和30年前後の小学校の頃は、シラミをとるために頭に殺虫剤DDTをかけられたり、回虫検査をされたり、疫痢が時々発生して保健所の白服マスクの職員が近所に消毒しにきたりして、衛生状態はあまりよくなかったようだ。

 又、汽車、バス、市電の公共交通機関や役所、映画館、食堂など人の多く集まるところでもたばこの煙で中がもうもうとけむっていた。

 

 「健康」を考えると今とは全く逆の時代ではあったが、精神的には皆が上昇未来志向で明るい雰囲気で生活を送っていたような気がする。

 

 小学校の修学旅行では隣県の福島の会津若松市近辺の「鶴ヶ城」や「野口英世記念館」などで歴史や偉人について学んだりしたものだ。

 

映画鑑賞会

 小学校ではたまに映画の上映があり、学校の講堂の床に座って観たものだ。生徒の数は1クラスが50数人で私の学年は8クラスで同級生数が450人近くいたのではないか。

 団塊の世代の最後なので私が低学年の時は、上のクラスは12クラスあったようなので全校生徒数は3千人を超えていたのかもしれない。

 全校一斉の朝礼の時などは生徒が途中で具合が悪くなり、あっちでヨロヨロこっちでバタンッと何人も倒れたりした。今のように太った子供はほとんどいなかったので、中には栄養不測や貧血で倒れたのかもしれない。

 それだけ在校生が多かったので、行動には児童全員が入りきれないため映画は学年別に見たようだ。

 上映されていてよく覚えているのは母娘もので、継母にいじめにいじめられたシンデレラのような娘が耐えに耐え、やがて優しい本当の母親にめぐり合うという、今では「くさい」と誰もが思う内容だったが我々は小さい心を痛めて、滂沱の涙を流したものだ。

 たまには時代劇も上映し、悪代官をやっつけるために正義の味方が馬に乗って、串刺し寸前の無実の罪の仲間を助けに駆け付けたりする場面では、皆で北朝鮮の熱烈観衆のように大拍手をしたのであった。

 

ストーブ当番

 小学校では冬は「ストーブ当番」を二人一組で先生から任命を受け、毎日交代で当番が朝早く学校に行き、うず高く積まれた亜炭置き場から台形上のバケツにてんこ盛りして、ふうふう言いながら教室まで二人係で運んだ。

 教室のだるまストーブの中にぐちゃぐちゃにした新聞をいれ、その上に細い木材をおいて火をつける。

火勢が強くなったら亜炭をいれて着火させる。ストーブの脇には用心のために水を張ったバケツを置いておく。

 教室のストーブは温まるまでに結構時間がかかるが、職員室に行くと教師専用のストーブの燃料はコークスを使っており、亜炭と違って熱量が多くアッという間に高温になりストーブの側面が赤々となっているのが羨ましかった。

 

 授業が終わったら当番は燃え殻の灰汁を掃除し、火事の防止のために水をストーブの中にはっておくのだ。

これが当時の小学生がやっていたのだが、今の時代は危ないとか、授業以外のことをやらせるのはまかりならんとかで絶対にやらせないだろう。

 

二宮金次郎(二宮尊徳)

 二宮金次郎の像は、昔の小学校には欠かさず置いてあったようだが、今はほとんどが見かけることはなくなった。

 二宮金次郎については授業で習い、絵本も多数出ていて我々年代では知らない者はないくらいの有名人である。

 彼は天災により生家が落ちぶれてしまったが、幼少の頃から大変な努力により自分の家だけでなく近隣の貧しい村の救済や、やがては幕府への貢献もし力を発揮した。

 二宮金次郎の像が小学校からほとんど消えてしまっており、わが母校もなくなってしまったようで、なぜなのか調べてみたら歩きながら本を読むのを、子供が真似をしたら交通事故などで危ないというのがその理由のようだ。

 今の子供は本の代わりにスマホだろうが、少しでも危ないと誰かの責任になるという問題になってしまうということで、清貧や勤勉、努力という教育の根幹に関わるものにも目をつぶり排除していくということは、それで本当に教育ができるのかと考えてしまう。

 

 体の危険防止も大事だが、心の健全な発達や思いやりや奉仕という気持ちの成長も大切ではないかと思うのだがいかがなものだろうか。