第55回 セカンドオピニオン 〜ドクターショッピングと「後医は名医」〜
30代の頃に、体が大変にだるくなり熱も出て食欲も無くなった。あまりにきついので近所の内科医に行ったら、熱をはかられ舌を出して喉をみられた。
「風邪だね」ときっぱりと言われ、注射をうってもらい薬もいただいた。3日経っても症状が悪くなるばかりで、5日目には体重が5キロ減り眼と体も黄色くなってきた。
ふらふらしながら市立病院に行ったら「急性肝炎! すぐに入院が必要です。ただ今は病室が空いていないので、黄疸もでているので数日は絶対安静にして家で待機するように!」と言われ仰天してしまった。結局1か月も入院生活を過ごさざるをえなかった。
これは今でいうセカンドオピニオンだと思うが、医者から医者へとジプシーのように、あっちへ行ったりそっちへ行ったりすることは、セカンドオピニオンとは言わないらしい。
セカンドオピニオンとは読んで字の如く、現在かかっている医師とは別の医師の意見を聞いてみる、ということである。
体の具合が悪くて病院に行き、そこの治療でなかなか治らなかった場合に「ほかの治療方法をしているところはないですか?」と医師にたずねる、又その治療方法や手術が本当に必要なのか、自分で判断が難しいと思った時などに他の病院の門を叩いてみるのが、セカンドオピニオンである。
そして別の医師に同じような治療や手術をすることを言われたら、やはりそれを受け入れることを再度考えたほうがいいかもしれない。
ただその時に「後医は名医」に見えることがあるので、注意が必要のようだ。後出しジャンケンではないが、「患者を最初に診た医師よりも、後から診た医師の方がより正確な診断・治療ができるため名医に見えてしまう」場合が往々にあるらしい。
セカンドオピニオンと誤解して「ドクターショッピング」をする人も多いようだ。今の医師の治療に満足ができず相談もせずに、あの病院この病院と次から次に寅さん生活を続けていくことである。
ただあまりにも医者を信頼過ぎるのも、場合によっては大変なことになるので、今の医師はセカンドオピニオンにたいしてあまり気にしないようでもあるので、手術や治療に別の意見を聞いてみたい時には是非やってみることをお勧めする。
2年前に私の特に親しい同じ歳の従兄弟が、ガンを宣告されたので私はセカンドオピニオンを勧めたのだが、残念ながら聞いてもらえずに、手術や抗がん剤で数か月後にひどく弱って亡くなってしまった。
あとで彼の家族に聞いた話では、担当の医師を非常に信頼していて他の病院に診てもらうのは、その医師に申し訳ないということでセカンドオピニオンは選択しなかったという。
60年以上付きあった私のアドバイスは聞いてもらえず、数か月前に知り合った医師の話しは全面的に信頼したというのは、やりきれない思いをしたものだ。
医師を信頼するのは良いのだが、やはり命がかかっているのであれば、別な選択肢の検討も必要なのではないかと思うのだが・・・
20数年前に亡母が直腸がんとの宣告を受けた。受診したのは市内の総合病院だったが、手術が必要ということでその詳細を聞こうと、姉と診察室に入り担当の先生に会った。
「先生、どういう手術なんですか?」と私
「直腸がんなので、手術後に人工肛門にします。」と医者
以下の話しが交互に続く。
「人工肛門にしたら、母の生活や私たちのはフォローをどうしたらいいのでしょうか?」
「手術したあとに説明します。」
「母は高齢なので、手術の後が心配なので他に方法がありませんか?」
「手術はしなければいけません」
「では、ぜひ今手術後のことを教えてください。」
「手術した後に説明します。」
とこういう話し合い?が続き、結局手術後のことについては教えてもらえなかった。
姉と私は、あの先生に治療を任せたらどうなるかわからないと大変に不安に駆られてしまった。
私は母と同居していたので、手術して人工肛門になってしまったら旅行好きな高齢な母はおそらくほとんど外出しなくなり、弱ってしまうのではないかと心配し、何か手立てはないか考えた
インターネットで検索(当時の普及率は2%位)したら、直腸がんでも人工肛門を造設しないでほとんど温存するという東京都立K病院を探し当て、既存の病院の医師にはそちらでも受診させたい旨を説明し、なんとかカルテなどをもらうことができた。
私は、直接そのK病院に何度か電話し、ようやく受診してもらうことになり、母を連れて東北新幹線に乗ってその病院に行くことができた。
長い診察待ちの時間のあとに、先生に見ていただきその後の説明で「人工肛門にしないで手術ができます。」と聞いた時は本当に天からの神の声のようでうれしくて視界がぼやけてしまった。
先生の計らいもあり、母はその日のうちに別な診療科のベッドに入院することができ、その後無事に手術を終えて仙台に帰ることができた。
もう今はいない母ではあるが、別の病気で倒れるまで余生を元気よく過ごしてもらえることができたことが大変に良かったと今でも思っている。