第35回 朦朧記 〜人生体感スピード〜

第35回 朦朧記 〜人生体感スピード〜

ブログが1週間ほど空いてしまいましたが、実は先月末ごろから今月初めにかけて私事で2泊5日という強行軍で海外に行ってきました。行きも帰りも深夜出発のため寝不足で残念ながらさぼってしまいましたが、そのモウロウとしながらも思ったことを脈絡がない内容ですが書き綴ってみました。

 

新年を迎えたばかりと思っていたら、もう2月の前半に入ってしまった。毎年毎年加速度がついたように時が流れ、正月が来たと思ったら「あっ」という間に桜が咲き、太陽がぎらぎら照りつける夏が来て、枯葉舞う秋となり、すぐにクリスマスの曲が流れ年末になってしまう。ちなみに若い時を「青春」というがその後に「朱夏」「白秋」「玄冬」と人生は巡るという説もある。

 

「1年がますます早く感じられてしまう」というのはよく耳にするし、自分も毎年感じていることである。年齢を重ねれば重ねるほどそういう思いが強くなるのは、どういう訳なのかと考えてみた。

 

人間が10才の頃の1日は、3650日分の1日なのでその過ごした人生10年間の0.03%であり、30才の人の1日は10950日分の1日なので0.01%、さらに60才に至っては21900日となるので0.005%となってしまう。つまりは子供の頃は、朝から夕方になるまで勉強と遊びでたっぷりの時間を過ごし、1日や夏休みなどは十分すぎるほどに長く感じられるが、60才になるとその1日1か月1年は10才の頃よりも6倍の速さに感じてしまうのである。

 

また別な見方だが、10才の時の人生体感スピードは時速10km、20才は20km、30才は30kmといくと60才は時速60km以上で走っていると考えれば合点してしまう。そのスピードで見る景色は歩いている子供に比べると、自動車に乗って窓から眺めている位の速さなのである。

 

つまり中高年の「あっ」の長さは、10才の子供には「あ~~~~~~」という位の長さなのではないかと思う。だから齢(よわい)を重ねれば重ねるほど1時間1日が余計に大切になり、それなりの過ごし方が必要になってくる。

 

人生を山のような半円に例えると、子供や若いころは急な登坂で苦労しながらその頂上を目指して登っていき、その円の高いところにたどり着く。もちろん人によってその円や山の形は多少違うが、そのあとは誰でもそこを下っていかなければならない。

その時に、若いころに身につけた努力や苦労の経験をいかせば、うまくその円を下ることができるし、あるいは下りながらでもいろいろと考えたり工夫したりしていけば、ゆったりと降りていくことができる。

そうではなく、その傾斜や落差にただ身をまかせたりすると、崖から転がり落ちるようになってしまう。

登るとき降りる時の両方の経験がやはり大事なのではないかと思う。

 

日本の人口は減る一方で2100年には6400万人になると以前に内閣府の発表にあったとおり、22世紀にはピークの半分の数になってしまう。

また、東北大学の「吉田研究室」では「日本の子ども人口時計」というホームページで14歳までの子供が一人になるまでの時間を刻々と表示しており、恐ろしいことに西暦4205年10月12日には日本人の子供が一人しかいなくなることを示唆している。

我々人生のラストスパートの手前にいるものは、特に「次の世代」のことを考えねばならない。

 

働き手は減るのに、老人は増え、子供はますます減っていく、しかしいずれは老人も絶対数がいなくなる、子供もいなくなる、そのあと日本はどうなるのかとフライト中、朝焼けの雲海を窓越しに夢うつつの中、日本地図の上に子供がポツンと一人だけ立っている姿を見てしまったのである。