第33回 干支(酉年)雑考 〜私の鳥見聞録〜

第33回 干支(酉年)雑考 〜私の鳥見聞録〜

今年、平成29年は干支が酉ということで、12月から年頭にかけて近くの廣瀬川に行き白鳥や鴨、かもめ、鳶などの写真を撮ってきました。ブログの挿入写真は、今年の元旦に鳶にエサをあげた時の写真を絵画風にアレンジしたものです。その時に鳶にエサと間違えられたのか、私の頭を鷲掴みにされて新年早々に痛い思いをしました。

 

そこで、本来は干支の酉というと鶏のことなのですが、今回は「鳥」にまつわる鶏を含む4つの雑多な思い出をお話しします。3番目までのエピソードは、昔はそういう時代があったのだなと、流して読んでいただければなと思います

 

ニホンイヌワシ

小学生の低学年の頃、その当時はまだ自転車も持っておらず、子供たちは歳の違う近所の子らと徒党を組んで遊びまわったものですが、その行動範囲はかなり広く歩いて1時間位かかるところにも平気でいったりしました。

 

ある時に野原を友達と歩いていたら、藪の中からピーピーという鳴き声が聞こえたので、そこにいってみるとけがをした鳥がうずくまっていました。家に持ち帰りエサをあげたりけがの治療もしましたが、両親が動物園に相談したらということで、当時の仙台市営動物園が市内にあったのでその鳥を持っていきました。その時に係りの方から「この鳥は日本イヌワシという希少な鳥なのだ」ということを教えられ、動物園でひきとるということになりました。

 

その後はすっかり忘れていましたが、近年、地元の東北楽天イーグルスを「イヌワシ軍団」と呼んだりするので、時々思い出すようになりましたが、今では絶滅種に近く日本全国で1000羽を下回っているようで、その中に私が見つけたイヌワシの子孫もいるかもしれないと考えると、少しばかりいい気持になってしまうのです。

 

ニワトリとヒヨコ

我々が子供の頃は鶏を飼っている家が多く、我が家でも卵を食べるために数羽飼っていました。毎日のように卵を産むので、その生みたてのまだ暖かいホカホカした卵をさわるのがなんとなく楽しみだったのを覚えています。鶏のエサには朝食べたみそ汁の具のしじみの貝殻を金槌で叩いて細かくし、それをエサに混ぜると卵の殻が硬くなるということで、なんどもその作業をやらされました。

 

鶏は卵を産まなくなると、母が鶏を捕まえて包丁で頭を切り落とし、それでもバタバタと羽ばたいている鶏の足をひもで縛り、軒先の物干しに吊るしました。たまに頭がないままトットと走り出すのもいて、びっくり仰天したものです。その残酷さに鶏肉のおかずなどが食卓に出てくると、子供心でなんとなく許せないという気持ちで、食べるのを拒否しましたが1週間も経つとけろりと忘れてしまいました。

 

そのころに家からあまり遠くないところにある宮城刑務所では、受刑者に卵を食べさせるためなのか鶏を飼っていましたが、ひよこが生まれると一般市民にも野草のハコベを持っていくと、その重さによってひよこを交換してくれました。私は仲間と一生懸命に摘んだハコベを持って刑務所の交換する場所に行き、何羽かのひよこをゲットしました。意気揚々と家に帰り両親に自慢したところ「メスをくれるわけがない、これはたぶん全部オスに違いない、全部川に投げてきなさい」といわれ、「そんなことはない」と頑張りましたが、数日経つと全部のひよこから小さなトサカが生えてきて、泣く泣く近所の六郷掘りに捨ててきたのでした。今でもどこかでヒヨコを見ると、その当時の思い出がよみがえり胸の奥が少しチクリとなるのです。

 

インコと空気銃

これは昭和30年代後半のことでもう時効だと思いますが、兄が小鳥を飼うのが好きでよくジュウシマツを飼っていました。毎日それなりに世話をするとよくなつき、キューキューととてもかわいい声で鳴きました。

 

ある日、兄が学校から帰ってくると、なんと小鳥をいれておいたカゴのふたが開いていて、散らばった羽と

一緒にジュウシマツの首だけがちょこんと残っていたのです。家では池で金魚も飼っており、それも時々被害にあっていたので、近所で飼っている猫がやったのではないかと思われました。仕方なく兄はインコを飼い始め、ジュウシマツ以上に可愛がりました。インコは言葉も喋り、頭も良く手にも乗ったりして、大変よくなついていました。しかし、それからしばらくしてある日、兄が帰宅するとなんと荒らされた鳥かごの中にまたもインコの首だけが残っていたのです。

 

その時の兄の怒りはすさまじく、後日に「空気銃」をどこからか持ってきたのか、「これで猫を退治する!!」と言って連日2階の物干し場や1階の縁側からニャーッと鳴き声をすると狙いを定め撃っていました。ある時に「ギャンッ」という悲鳴が聞こえて兄のところに行ってみると、「尻に当たったようだ・・・」と「夕陽のガンマン」のクリントイーストウッドのように満足そうに目を細めてニヒルにつぶやいていました・・・

 

カモとアヒル

仙台市内を流れる廣瀬川の河原には愛犬をつれてよく散歩しますが、数年前の秋に鴨の群れの中にどこから紛れたのか一羽だけアヒルが一緒に泳いでいました。家でペットとして飼われていたアヒルが逃げ出したのか追い出されたのか、当たり前のように仲間のようにその中に溶け込んでいました。「そのうちきっといなくなるのだろう」と思っていましたが、年を越しても一緒に行動をしていました。

 

やがて春になると二羽の白い子供のアヒルが親アヒルの後ろを泳いでいたのです。数ヶ月過ぎるとその中の一羽は色がまだらになり、もう一羽は相変わらず白いままでした。昔の混血の子のことを蔑称で「あいのこ」といっていましたが、そのアヒルの子たちは本当に可愛い「あいのこ」でした。もともと鴨とアヒルは同族だからうまく婚姻が相整ったのかもしれません。翌年は大人になって三羽ともその群れの中にいましたが、3年目には一羽だけになり4年目にはアヒル達は皆いなくなってしまいました。4年間のことでしたが、なぜか物悲しく思ったものでした。