第25回 沖縄の女海賊 ~近代史に残る伝説の女傑~

 マサコ、サオリ、マユミと聞いたら誰を思い浮かべるだろうか?

 

 今は生まれた子供にこういうシンプルな名前を付けることは少なくなったが、自分の家族や知人など身近にいる女性の名前、それとも昔通ったことのある酒場のママ、それとも・・・・

 

 実は、味の素がインドネシアで発売している顆粒調味料が「Masako(マサコ)」、液体調味料が「SAORI(サオリ)」、マヨネーズが「Mayumi(マユミ)」なのである。1989年から順次に売り出していったそうだが、地元では大人気の商品のようである。インドネシアで一番有名な日本女性はもしかするとその3人かもしれない。

 

 それはさておき、現在は政治の世界やスポーツでも日本の女性たちは大活躍であるが、私の大好きな沖縄でも現地では大変有名な「女海賊」といわれた伝説の女傑がいたことを紹介したい。

 

 私はラジオが好きで寄席やラジオドラマは、録音予約をしてよく聴くのだが、2010年の年初に聞いた番組が「沖縄独立を夢見た伝説の女傑 照屋敏子」という題名だったが、それを聴いた時に大変驚いたのを覚えている。最初はフィクションと思って聞いていたのだが、そのあまりの人生の壮絶さに実際の人物と知り、いろいろと調べたものだった。

 

放送された当時のNHKラジオドラマでの紹介は次のようにある。

 

「大正から昭和の終わりまで波瀾に満ちた生涯を送った照屋敏子(1915~84)の半生をドラマ化。2歳にして両親と生き別れ、9歳から故郷糸満で魚の行商を始める。その類い稀な商才と強引なまでの精神力から、戦前、戦中から戦後までを数々の事業をおこし、成功と失敗を繰り返しながら、いつも郷土沖縄への熱い思いに突き動かされていた。家屋敷を焼き出された戦争体験から米軍統治下の沖縄での必死の商売という、激動の時代を駆け抜けた一人の女の生涯を通し、行き詰まっている今の日本に、生きそして愛する激しさを劇的に伝える。第14回小学館ノンフィクション大賞受賞作のオーディオドラマ化」

 

 ラジオは姿が見えない分想像力を掻き立て、声の主演は女優の若村麻由美、その熱演に実際にその場面に遭遇したような臨場感を覚えたものだ。

 

 照屋敏子は、父母を幼い時に亡くした後、大変に苦労したが19才で結婚した。戦後に復員者のために玄界灘で300名以上の漁夫を引き連れ大漁業団を立ち上げた。あらくれ男との団交の席では、突き付けられた短刀をものともせずに啖呵を切りながら指を切ったという。「極道の妻」も真っ青な肝がすわった女性だったらしい。その後、シンガポールで華僑と合弁会社を立ち上げたが、失敗し1958年に撤退する。

 

 那覇に戻ってからは、クロコデールストアというワニ革・宝石の専門店を立ちあげ成功するが、それにも飽き足らずに数多くの仕事を起業する。

 

 1964年には東京オリンピックメダル沖縄地区販売代理店になったり、プランクトンの研究やクロダイ、ボラ、クルマエビ、鯉の養殖、メロンの栽培も手掛ける。ワシントン条約保護法制定をうけてアカウミガメ増殖研究や晩年近くには、たんぱく質が豊富なスピルリナという藻類の培養を始め、スピルリナゴールドという名前で発売もしていた。現在は照屋敏子とは縁もゆかりもない「ユーグレナ」というベンチャー企業が、「ミドリムシ」という藻類を石垣島で培養を成功させ株式上場し、将来の食料源ということで脚光を浴びているが、照屋敏子はそのくらい先見の明があったのだ。

 

 晩年はその激しい気質もあって、孤独で迎えたようであるが、ジャーナリストでもあり作家でもある大宅壮一は敏子を指して”沖縄にチンポあり”と表現したほどの女傑ではあった。

 

 また沖縄には「沖縄密貿易の女王」といわれた金城夏子や、戦後に金城商事を立ち上げた金城カネという女傑も輩出しており、あらためて沖縄女のパワーに脱帽である。